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日本ハムの主砲から日本の主砲へ!中田翔選手

2017 6/28 09:44cut
ⒸShutterstock.com
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広島の野球少年から大阪桐蔭高校へ

今や日本ハムファイターズの主砲、そして侍ジャパンの主要メンバーとして名を連ねる中田翔選手は、広島出身の野球少年だった。

中田選手はジュニアリーグ、シニアリーグから頭角をあらわす。シニアリーグでの活躍が大阪桐蔭高校の監督の耳に入り誘いを受け、広島の実家から離れることになるものの、大阪への進学を決める。一年生の時からレギュラーで、当時は投手としても試合に出ることもあり、150キロ近い剛速球を投げるなど、高校生の頃から投打で見せる選手だった。当時の同級生には、のちに埼玉西武ライオンズの選手となる岡田雅利選手もいた。

2005年夏の甲子園大会ではベスト4など、3年間にわたり甲子園でも熱い戦いを見せ、高校時代には通算87本という驚きの本塁打数を叩き出す。甲子園大会でも通算4本塁打と「平成の怪物」というニックネームがつくほどだった。

4球団から1位指名を受けたドラフト会議

2007年の高校生ドラフト会議で「平成の怪物」と話題を呼んでいた中田選手は、東京ヤクルトスワローズの佐藤由規投手(仙台育英高校)、千葉ロッテマリーンズのローテーション投手となる唐川侑己投手(成田高校)らとともに「高校ビッグスリー」といわれ、この3人が各球団の入札を集める。阪神タイガース、オリックス・バファローズ、福岡ソフトバンクホークスも中田選手獲得に名乗りを上げたが、抽選で北海道日本ハムファイターズが交渉権を獲得。交渉の末、入団に至った。

北海道の印象を聞かれた中田選手は、「白い恋人」という珍回答を返したが、新天地・北海道で不動の4番としての大活躍することになり、北海道ファンの期待に応える形になる。同世代には、のちの2016年の日本シリーズで対戦することになる広島カープの「タナキクマル」こと、田中広輔選手、菊池涼介選手、丸佳浩選手や、巨人のエース菅野智之投手なども名を連ねている。

日ハム入団後は怪我に悩まされる

入団直後のことは、のちに「完全に天狗だった」と中田選手は振り返っている。名門大阪桐蔭で驚異の87本塁打、ドラフト1位指名、プロの世界でも通用すると中田選手を信じたファンは少なくなかった。しかし、キレのあるストレートに手こずり、左手首を骨折するなど怪我もあり、一軍に上がることはできなかった。

二年目は日本シリーズに代打で起用されるなどしたが、結果は残せず。なかなか一軍に定着しないまま、三年目には左ヒザ半月板損傷という大怪我を二軍で負ってしまったのだ。ドラフト1位指名選手への期待は大きく、街を歩いてもファンから野次られ、メンタルも落ち込んだと言う。しかし怪我の手術後は、エース級選手から続々とホームランを放つなど活躍を見せ始める。

その後は、ガニ股で体の軸を動かさずに打つノーステップ打法を生み出し、次第に北海道日本ハムファイターズの主砲として欠かせない存在となっていく。

2012年のリーグ優勝に貢献

中田選手は金髪にネックレス、細い眉とコワモテの印象などからはなかなか想像できないが、同じ高校の同級生と2012年に結婚、その後子供も生まれ、家庭では良きパパだ。ファンにサインを求められればできる限り応じるなど、イメージはコワモテでも接すると優しいのだ。

そして2012年に5年目の中田選手へ転機が訪れる。新監督の栗山英樹監督は中田選手を中心にしたチーム作りに着手。たとえ中田選手が不調でも我慢強く起用し、中田選手は不動の4番固定となり、2012年リーグ優勝の立役者となる。優勝チームにおいて144試合を4番で出場したのは史上3人目となる。

その後も主に4番として北海道日本ハムファイターズを牽引し、大阪桐蔭高校の先輩である「おかわりくん」こと埼玉西武ライオンズの中村選手とホームラン王争いを繰り広げている。
2014年にはフル出場、100打点をマーク、初の打点王に輝いた。

2016年のリーグ優勝・日本一

2016年シーズンはソフトバンクに大きくリードされ、最大で11.5ゲーム差をつけられていた。しかし、それをはねのけ「奇跡の15連勝」をマークするなどチーム一丸となって優勝を目指す。

その中で、中田選手の個人成績も打撃不振で、6月には代打を出されるなどスランプ状態。ある試合後、栗山監督に監督室に呼ばれ、中田選手は「二軍へ行かせてください」といつ言おうかと思っていた。しかし「翔はどう思っているんだ?」と栗山監督に聞かれ、自分やチームのことを話し、「もう一回頑張ろう。翔でダメだったら納得できる」と言ってくれたことで、中田選手が「監督を男にしたい」と奮起することになり、結果的に優勝への一歩となったそうだ。
日本シリーズでは破竹の勢いだった広島東洋カープを倒し、チームは10年ぶり、中田選手も初めての日本一の美酒を味わうことになった。

2013年、2017年と2度のWBC参戦

広島東洋カープを代表する山本浩二新監督の率いる2013年WBCに向け、サムライジャパンの精鋭として中田選手も選ばれ、一時は4番候補として期待される。しかし移動や寒暖の差など世界大会の壁は大きく、2013年侍ジャパンは世界制覇を逃し、準決勝でプエルトリコに破れる。中田選手は先輩達にチームを引っ張ってもらいながら悔しさを味わうことになった。

2017年、小久保ジャパンとして再び集まった精鋭のなかに、もちろん中田翔は欠かせない存在だった。主砲として横浜DeNAベイスターズの筒香嘉智選手とともにアーチを重ねる。1次ラウンド第二試合のオーストラリア戦では、巨人菅野投手が好投するなか、5番に回った中田選手はレフトポール際のスタンドに飛び込むソロホームランを放つ。2次ラウンドのオランダ戦でも二点タイムリーを放つなど、主砲の名に恥じないフルスイングを見せる。「死闘」といわれた延長タイブレークを制し、アメリカでのラウンドに挑む。

しかし、迎えた準決勝では筒香選手、中田選手とアーチの続いた主砲も沈黙、開催国のアメリカに敗れ、日本代表は優勝には届かなかった。

高校野球界のヒーローだった中田選手は、北海道日本ハムファイターズで、スランプや監督との出会い、リーグ優勝や日本一を経験し、WBCでは日の丸のプレッシャーのなか、大切な試合で大きなアーチを放った。日本を牽引するプロ野球選手として、今後も活躍がかかる。