2016年はふがいないシーズンだった藤浪晋太郎
2016年シーズンは入団以来初めて2桁勝利を逃してしまった阪神タイガース藤浪晋太郎選手。7月には5四死球で8失点と乱調ながらも161球で完投し、金本監督の采配が物議を醸したこともあった。
2017年シーズンは、そういったふがいない投球・ふがいない試合がなくなるよう、文句のつけようのないピッチングをしたいところだ。1度どん底を味わった後だからこそ、その真価を問われる年となる。持っているポテンシャルは、現在のNPB選手どころか、歴代のNPB選手の中でもトップクラスだろう。
今回は藤浪選手の復活のポイントを、過去の活躍を振り返りながら探っていこう。
1年目から先発ローテーションの一角を担う
藤浪選手は大阪桐蔭高校から2012年のドラフト1位で阪神タイガースへと入団した。高校時代から数々の輝かしい実績を残しており、3年生時には甲子園春夏連覇も達成。9月には高校日本代表にも選出され、台湾戦では13奪三振完封勝利と、海外の同世代すらも圧倒した。10月の国体でもチームの優勝に貢献し、高校三冠も達成。名実ともに世代No.1ピッチャーだったのだ。ドラフトでも阪神以外に、オリックス、ヤクルト、ロッテが1位指名をしており、4球団競合の末に阪神へと入団した。
そして阪神では1年目から先発ローテーションの一角を任される。開幕カードの3戦目、3月31日のヤクルト戦では早くもプロ初登板初先発を果たし、6回2失点7奪三振の好投を見せた。しかし、相手投手の八木亮祐選手(現在はオリックス所属)の前に打線が沈黙してしまい、プロ初黒星を喫してしまう。それでも、ドラフト制度が導入されて以降、高卒ルーキーが3試合目で登板するというのは、史上最短の記録であり、その名をNPBの歴史に刻んだ。
江夏豊以来の高卒ルーキーでの2桁勝利達成!
その後4月14日にやってきた2度目の先発機会で、DeNAベイスターズを相手に6回無失点4奪三振の好投。見事にプロ初勝利を記録する。6月はやや苦しみ、4度の先発機会で勝利は0。特に23日のDeNA戦では4回5失点と打ち込まれる試合もあったが、7月には打って変わって2連勝するなど、ばっちりと修正していく。
結局前半戦だけで6勝をあげ、オールスターにも監督推薦で出場した。再びシーズンに戻ると、さらに安定の増したピッチングを見せ、8月は5試合で4勝をマーク。防御率も1.09とほぼ完璧な内容を見せ、月間MVPも受賞した。特に31日の試合で獲得した8月4つめの勝ち星は、シーズン10勝目となり、セリーグでは江夏豊さん以来の高卒ルーキーの2桁勝利も達成する。
結局137回2/3で規定投球回数にも届かなかったが、それでも10勝6敗 防御率2.75 126奪三振を記録。新人王は16勝をあげたヤクルトの小川泰弘選手が受賞となったが、この活躍が認められ、セリーグから特別新人賞を与えられた。
やや不安定さが目立った2014年
2年目の2014年シーズンも、1年間ローテーションを守り、11勝8敗、172奪三振を記録した。しかし、前年と違って安定感に欠ける試合も目立つようになり、シーズン初登板の試合では8回6失点と大炎上という試合も見られた。2戦目の試合でも7回5失点と炎上。3戦目で7回2失点の好投を見せ、ようやくシーズン1勝目を手にしたのだ(ちなみにこの試合ではプロ初本塁打も放った)
このように、2014年は試合によって調子が極端という状態が続き、5月12日の広島戦では7回を投げて1失点10奪三振の好投を見せたかと思いきや、続く20日のオリックス戦では2回6失点(自責点3)の大炎上。しかし27日のロッテ戦では8回無失点6奪三振と、好投→炎上→好投を繰り返す。さらに8月14日の巨人戦~9月6日まで4登板で4連敗を喫したかと思いきや、9月12日の広島戦~26日の広島戦までは3登板3連勝を記録するなど、最後まで不安定な1年だった。
抜群の安定感が光った2015年
しかし、翌2015年にはそういった不安定さはほとんど目立たず、ほぼすべての面において自己最高の成績を残した。シーズン序盤こそ負けが先行して、5月8日の時点で1勝4敗と3つの借金を背負っていまたが、5月中旬からは絶好調!5月14日のヤクルト戦途中から6月3日のロッテ戦まで、32イニングものあいだ無失点に抑えると、さらにこの間の試合では3試合連続で2桁奪三振も記録した。結局7月5日のDeNA戦まで5連勝を記録し、前半戦を7勝5敗で折り返す。
後半戦も安定したピッチングを見せ、7月24日のDeNA戦ではいきなり12奪三振の完封勝利を達成すると、8月に3勝、9月にも3勝をあげ、最終的には、14勝7敗 2.40 221奪三振という見事な成績を残す。初のタイトルである最多奪三振も獲得した。セリーグ最多の82四球と11死球を与えてしまったが、一方でセリーグ最多の7完投(うち完封4)もマークし、イニング数も自己最多の199を数えた。
巨人戦、DeNA戦には相性が良く、この2球団から14勝のうち8勝を奪っている。シーズン初完封も5月20日の巨人戦だったし(137球10奪三振)、7月24日のDeNA戦でも152球12奪三振の熱投で完封勝利を収めている。「将来のエース」から、「本物のエース」と呼ばれるような成績を残したのだ。
再び不安定さが目立ってしまった2016年
2016年シーズンになると、また2014年のような不安定さが出てきてしまう。冒頭で紹介したとおり、3年連続2桁勝利の記録が途絶えてしまい、最終的な成績は7勝11敗というもの。開幕から3連勝を記録するものの、5月後半からは徐々に勝てなくなっていき、特に6月9日のロッテ戦~2月29日の中日戦にかけて5連敗。前年とは対称的な内容だった。
7月8日の広島戦では序盤から四球を出して失点を重ね、連敗中の改善が見られない藤浪選手に対し、161球で完投させたという采配も物議を醸した。8月の試合ではベースカバーを怠ったことに対し、福留孝介選手に厳しく叱咤されるというシーンも見られた。結局後半戦も3勝5敗と負け越してしまい、勝ちきれないままシーズンが終了してしまう。
得点圏での四球の多さに課題
なぜ、2016年シーズンはこれほど負け越してしまったのだろうか。過去のシーズンの成績と比べてみると、実は勝敗以外の成績は2014年のものとよく似ている。
2014年:25試合 11勝8敗 163回 172奪三振 防御率3.53
2016年:26試合 7勝11敗 169回 176奪三振 防御率3.25
防御率は0.3ほど下がっているが、それ以外の数字ほとんど同じだ。なのになぜ、勝敗だけがひっくり返ってしまったのだろうか。その理由は得点圏での被打率にあった。まずはシーズントータルの被打率を4年分見ていこう。
2013年:.236
2014年:.249
2015年:.223
2016年:.238
というように、2016年の数字は決して悪くない。しかし、これが得点圏になると、
2013年:.211
2014年:.256
2015年:.199
2016年:.271
と、ここ数年では最悪の数字となっていたのだ。2014年と比べると被打率はそれほど変わっていないように思えるが、実は四球数が16から30へとほぼ倍増。得点圏になるとさらに四球数がふえてしまい、そして大量失点という悪循環にはまってしまうことが多かったのだ。
確かに、打線の影響も大きかったと思う。チーム打率は2014年の.264に対して2016年は.245。援護率も2014年は5.48もあったのに対し、2016年は3.65まで落ちている。そう考えるとこの成績もある程度は仕方のないことなのだが、やはりピンチの時ほど四球が多いというテンポの悪さが、援護のなさにも繋がってしまった可能性も否めないだろう。
慎重さと豪快さのバランスが取れるか?
藤浪選手は頭の良い選手だ。中学時代までは学業面でもかなりの成績を残していたらしく、そのまま受験して進学校へ進むこともできたといわれるほどだ。インタビューでも、しっかりとした受け答えをしており、頭の回転の速さも伺える。それでいて高い修正能力を持っている選手でもあり、ダメだったときの引き出しもたくさん持っている。
それゆえに投球に対して考え過ぎてしまったというのが、2016年の不調に繋がってしまったのではないだろうか。好調だった2015年もリーグ最多の四死球数だったように、細かいコントロールはそれほど良くない。だが、ボールに力はあるので、たとえコースがアバウトだったとして、ボールがストライクゾーンに集まれば簡単には打てないはず。
にもかかわらず、2016年はこの自分で考えられる能力が仇となってしまい、慎重になりすぎた結果、無駄な四球、テンポが悪さとして現れてしまったのだ。例えば、ランナーを出してピンチになってしまったとき、藤浪選手がゲッツーを奪おうと考えたとする。そのための選択肢として、藤浪選手は低めのツーシームを投げようとしたのだが、細かなコントロールの無さからボールを連発してしまうことに……という感じだ。
自分で考えられるのは悪いことではない。しかし、藤浪選手の持ち味は力で押していく投球だ。この慎重な性格と、豪快な投球スタイルのバランスがとれたとき、彼の真価が発揮されるのではないだろうか。2017年シーズンは、その辺りに注目していこう。