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阪神タイガースの18番を背負ってきた名選手5人

2016 8/13 15:01
背番号18
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関西では圧倒的人気を誇る阪神タイガース。最近ファンになった方は、歴代の18番の名選手達をご存知だろうか。
今回の記事では、伝統あるタイガースの18番を背負った名選手5人をピックアップしてお届けする。

野田浩司投手

30代後半以降のタイガースファンならみな、「逃した魚は大きかった」と思っているはずの野田浩司投手を、あえてトップバッターに持ってきた。 野田投手が在籍した1988年から1992年の成績は35勝52敗(9セーブ)というものだった。凡庸な成績に思えるが、実は暗黒時代の打線がかなり悲惨だった為なのだ。
1992年は、新庄や亀山といったスター選手に加え、オマリーやパチョレックら助っ人外人の活躍もあり、シーズン終盤までヤクルトと熾烈な首位争いをした(結果は惜しくも2位)。 そしてその年のオフ、「魔のトレード」でオリックスへ移籍。翌年、野田投手は17勝をあげ、いきなり最多勝を獲得。1995年には1試合19奪三振の日本記録を樹立する名投手へと覚醒したのだ。

藪恵壹投手

タイガースの暗黒時代といえば、もう一人忘れてはならないのが藪恵壹投手だ。前述の野田浩司投手と入れ替わるかのように、1993年のドラフト1位でタイガースに入団した。
1994年のシーズンで新人王を獲得。入団1年目から規定投球回数を達成し、ローテーションの一角を守り続けた。ちなみに、入団2年目から6年連続2ケタ敗戦も記録している。 この成績を見ると大したピッチャーじゃないと感じてしまうが、暗黒時代の阪神は本当に悲惨だったのだ。なにせ、1985年以降18年間も優勝できなかったチームなのだから。 藪投手はその後、2005年にメジャーリーグのアスレチックスに移籍。その後はコーチや解説者として活躍している。古くからのタイガースファンにとっては、間違いなくエースピッチャーだった。

池田親興投手

池田親興投手は、1977年に宮崎県の高鍋高校からドラフト4位でタイガースに指名されるも進学を理由に拒否。その後、法政大学、日産自動車へと進んだ。
1983年にはロサンゼルスオリンピックの日本代表選手に選出。やはり後に西武ライオンズで活躍する台湾代表、郭泰源と投げ合った。その年のドラフト会議で、タイガースから2位指名され入団。 1年目、2年目と9勝をあげる活躍をして、1985年のタイガース21年ぶりの優勝に貢献。甘いマスクから女性ファンにも多大な人気があり、タイガースの将来を背負うピッチャーとして嘱望された。 しかし、その後は伸び悩み、ダイエー、ヤクルトと渡り歩き、現在ではコーチや解説者として活躍している。実直な人柄で、今も昔もファンから愛されている。

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