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千葉ロッテ伊東勤監督の熊本への思い

2016 8/13 06:01
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伊東勤の選手時代

現在千葉ロッテマリーンズの監督である伊東勤は、もとは西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)の選手だった。22年間所属した西武では申し分ない活躍により、現役を退く前から「西武の監督」というレールを引かれるほど存在感があった。

故郷熊本で野球をしていた高校時代に才能を認められ、ドラフト1位でライオンズに入団。わずか数年でキャッチャーとしてレギュラーをつかみ取った。当初は先輩投手にサインを無視されることもあったが、やがて全幅の信頼を寄せられるようになり、「常勝西武」と評されたライオンズの黄金時代を支えた。しかし、監督就任後は一転、苦しむことになる。

西武監督時代の苦労

就任初年度に手に入れた「日本一」ではあったが、これはパ・リーグのプレーオフ制度に助けられた形で手に入れた「日本一」で、実際は2位とダイエーホークスに後れを取っていた。また、2007年の順位は5位で、26年ぶりのBクラスという結果を招いた。

この成績により球団側は伊東にセレモニーすら用意せず、事実上の解任を決定した。これには伊東自身も悔しさを感じ、長年過ごした西武と楔を分かつことを決断した。

ロッテの監督になって

2012年、NHKの野球解説者や韓国プロ野球のコーチを務めるなど精力的に活動していた伊東に千葉ロッテマリーンズからチーム立て直しを図る監督就任要請があり、2013年から指揮を執ることになった。

結果、前年順位が悪い上に補強もほとんどしなかったことで、軒並み最下位予想だったロッテを3位に押し上げることに成功。今ではファンの支持を集めている。

故郷の熊本の地震を受けての伊東の選択

就任4年目を迎えた2016年、順調に勝ち進むなかニュースが飛び込んできた。仙台での遠征試合後に記者から故郷の熊本が震度7の地震に見舞われたと聞いたのだ。

町の被害状況や家族が車内で寝泊まりしていることなどを知り、大きくショックを受け不安に駆られた伊東だったが、「今すぐ家族のもとへ向かいたい」という気持ちを抑え、「野球で熊本を元気づける」という強い信念を持ち戦い続けること選んだ。

ロッテの本拠地であるQVCマリンフィールドで行った募金活動ではあたたかい言葉を受け、グラウンドでは見せなかった涙を見せる一幕も。その涙にファン以外も胸を突かれるものがあっただろう。