白鴎大学の同期から3人のプロ入り
岡島豪郎選手は群馬県出身で地元の関東学園大付属高校へと進学。甲子園への出場はなく白鴎大学へと進み野球を続ける。白鴎大学は関甲新学生野球連盟に所属する学校で上武大学、関東学園大学らとリーグ優勝を争う大学だ。
過去の卒業生では飯原誉士選手(ヤクルト)、高谷裕亮選手(ソフトバンク)らがプロ野球で活躍。岡島選手以降にも塚田正義選手(ソフトバンク)、ルシアノ・フェルアンド選手(楽天)、そして2016年のドラフトでは阪神から1位で大山悠輔選手、西武から2位で中塚駿太選手が指名されている。
岡島選手は1年時から試合に出場し4年間でベストナイン、首位打者、最多打点を獲得し注目を浴びる存在ではあった。当時のポジションは外野手、捕手と両方を行っておりベストナインは外野手として獲得している。
4年時にはプロ志望届を提出しドラフトでの指名をチームメートとともに待った。この年、白鴎大学からは岡島選手の他に塚田選手、金伏ウーゴ選手がプロ志望届を提出していたのだ。金伏選手は育成指名だったが3名とも無事に指名をもらえプロ野球の世界へと進んだ。
捕手から外野へのコンバート
2011年ドラフト4位で楽天に入団した岡島選手は1年目に、嶋基宏選手という正捕手がいる中で43試合へ出場。打率.258、2本塁打、11打点の成績を残す。しかし、嶋選手が故障離脱中に出場した試合が多くレギュラー奪取には遠い状況だった。
翌2013年、星野仙一監督は打撃の良い岡島選手をどうにか試合に出そうと思案。そのときに岡島選手は外野での守備練習を始めたのだ。大学時代に外野を守ったこともあり完全な初心者ではない。その努力が実りシーズン序盤の5月に代走で出塁後初めて右翼の守備についた。その後は代走、捕手としての出場が続いたが6月30日に左翼で初めてのスタメン出場するなど少しずつステップアップを図る。
初スタメンから約1ヶ月後の7月31日に1番右翼で出場するとシーズン終了までレギュラーの座を渡さない。捕手でありながら外野の守備練習をこなしレギュラーを獲得した岡島選手はこのシーズンに規定打席には届かないものの打率.323、1本、13打点と好成績をマーク。球団史上初のリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。
飛躍の1年となった2013年だがスタメン定着にはある出来事があったのだ。
決起集会での一言
2013年、2年目のシーズンを迎えていた岡島選手は二番手捕手として一軍に帯同。その座を不動のものにしていた。代打、代走、そして捕手として終盤に出場するなど大卒2年目、ドラフト下位の選手としては上々のポジションを掴んでいたともいえる。しかし、岡島選手はこの状況に満足していなかった。
その状況の中で7月29日に選手、首脳陣らでシーズン優勝へ向けた決起集会が行われる。その中で外野の守備練習を始め、2試合ではあるが外野で試合に出場し自信もついた岡島選手は星野監督に「どこでもいいので使ってください」と直談判をしたのだ。
その2日後、スタメンの中には「1番右翼岡島」の名前が刻まれる。星野監督は岡島選手の思いに応え外野でスタメンのチャンスを与えたのだ。「ここで結果を残せば使ってやるぞ」といった星野監督からの無言のメッセージを受け取った岡島選手は第一打席で安打を放ち起用に応える。それ以降、岡島選手はスタメンに定着したのだ。
決起会の席で岡島選手の一言が星野監督を動かしその期待に岡島選手は見事に応えた形となった。
日本一から最下位ながらも奮闘
2013年にレギュラーの座を掴んだ岡島選手は翌2014年に登録が捕手から外野手へと変更になった。星野監督を始めチーム全体として岡島選手を捕手ではなく外野手として起用する方針を取ったのだ。その結果どおり2014年に1試合捕手としての出場はあったが、それ以降は2016年シーズン終了まで捕手としての起用はない。あくまでも、緊急時の第三捕手としての役割となりそうだ。
外野手登録初年度となった2014年は142試合に出場。打率.283、7本塁打、53打点と好成績を残す。開幕当初は1番右翼として起用されていた岡島選手だが7月後半からは中軸となる3番を打つことが増え3番(62試合)、1番(59試合)と3番での出場が多くなっている。1番、3番での成績に大きな変化はない。1番として打率,280、出塁率.353に対し3番では打率.284、出塁率.355となっている。
岡島選手の活躍があったにも関わらず、チームとしては低迷。2013年に日本一となったチームは最下位に転落してしまう。その中でチーム野手陣で唯一といってもいい奮闘を見せたのが岡島選手だった。
2016年の復活から未来へ向けて
2013年後半戦、2014年と結果を残してきた岡島選手だが2015年は不振に陥る。開幕から1ヶ月ほど経過した5月2日の時点で打率.165、0本塁打、7打点と結果を残すことができない。スランプを脱出するために二軍行きを命じられ一軍から離れる。
二軍調整を行っている最中に岡島選手は故障を発症。実戦でのトレーニングが遅れてしまう。その中でもトレーニングを行い二軍で実戦を積み9月中旬に一軍に復帰した岡島選手。二軍での成績は41試合で打率.168、1本塁打、13打点とスランプから抜け出せていなかった。
一軍に復帰後も9月(打率.217)、10月(打率.130)と結果を残せず一年を終えてしまった。岡島選手にとって2015年は不本意な年だっただろう。プロ入り後初のスランプをと言ってもいい一年だった。
そのどん底だった2015年から岡島選手は這い上がる。
2016年開幕から1番右翼でスタメン出場を果たすと5月末の時点で打率.331、1本、16打点と好成績を残しリードオフマンとしての役割を果たす。この、開幕ダッシュもあり初めてオールスターゲームへの出場も経験した。夏場以降失速し打率.252となってしまったが、前年(打率.168)に比べるとスランプからは脱出したと言ってもいいだろう。
2016年シーズンオフには元タレントの岡村真由と結婚。背番号も「27」から「4」となり心機一転、2017年シーズン以降に向けてさらなる飛躍が期待される。