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【球史に名を残した偉人達】記録にも記憶にも残る長嶋茂雄選手

2017 5/17 09:55cut
野球ボール,バット
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立教大学時代に本塁打記録を樹立

長嶋茂雄選手は千葉県佐倉市出身で佐倉第一高校から立教大学へと進学します。高校時代の長嶋選手は甲子園に出場したこともなく全国的に無名の存在でした。
立教大学時代の長嶋選手は杉浦忠選手、本屋敷錦吾選手とともに「立教三羽烏」と呼ばれていました。5季連続ベストナインを獲得、当時の東京六大学野球記録である大学通算8本塁打を放つなど大活躍します。大学時代にこれだけの活躍をしたことからプロからも注目の存在となっていた長嶋選手。
プロ入りは確実視されていましたが、当時は巨人ではなく南海が入団の本命とされていました。しかし、長嶋選手の母親が在京球団希望ということもあり巨人入りを決断しました。契約金は当時の最高額である1800万円で年俸は200万円(推定)となっています。 南海は巨人以上の契約金である2000万円を提示していたが断られた形となりました。立教大学で一緒に戦った杉浦選手は南海へ本屋敷選手は阪急へそれぞれ入団しています。
現在のプロ野球とは違いドラフトがなかった1950年代は自分の希望する球団に入ることができたのです。当時ドラフト制度があればまた、違った形になっていたでしょう。

4打席連続三振から56年後のショートゴロ

東京六大学のスターとして活躍した長嶋選手は大きな期待をされ1958年巨人に入団。オープン戦から7本塁打を放つなど圧倒的な活躍を見せ開幕戦に挑みます。開幕戦の相手は国鉄です。先発投手は7年連続20勝以上を挙げていた大エースの金田正一選手でした。
長嶋選手はオープン戦で左腕の投手からよく打っていたこともあり「開幕戦でも金田投手から打てるかもしれません」との報道が新聞に踊りました。それを見た金田選手は「大学出がなんだ!なめられてたまるか!」と激怒したという逸話も残っています。
開幕戦で長嶋選手は4打席連続三振を喫し、まさに完敗しました。全19球でボールがバットに当たったのはわずか1球。「さすが金田さんだ。カーブもドロップもキレがよかった」とコメント。一方、金田選手は「三振が全部フルスイングだった。大物になる」と評価します。
翌日のスポーツ新聞などでは「プロは甘くなかった」「さすが金田」といった見出しが並び注目度の高さを窺わせてくれています。
それから56年が経過した2014年7月4日の東京ドームで1打席対決が行われました。 金田選手が投じた3球目を長嶋選手はスイング。打球は遊撃手の前に転がっていきました。「ピッチャーの頭を越すつもりだったけどショートゴロだったね。自分ではいいあたりだたと思います」と笑顔でコメント。長嶋選手が78歳、金田選手は80歳でしたが真剣勝負を楽しんだのです。

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