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【球史に名を残した偉人達】「代打・オレ」が象徴的な古田敦也兼任監督

2017 5/17 09:55cut
baseball ball
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野村監督以来?の選手兼任監督

野球ファンだけでなくテレビなどで広く顔を知られる人気の存在、古田敦也選手は、一般入学した立命館大学の野球部で活躍しました。大学卒業時にプロからドラフト指名はされなかったものの、トヨタ自動車野球部での活躍を経て、ソウル・オリンピックで銀メダル獲得を経験。抜きん出る才能を開花させました。
その後のドラフト指名により、新天地ヤクルトでその才能は全国に知れ渡るところとなります。首位打者、チーム日本シリーズ制覇、ゴールデングラブ賞受賞、オールスターMVPなど、バッティングにおいても、マスクをかぶっても多くのファンを魅了したのです。
そんな古田選手に2006年、大きな転機が訪れます。 ヤクルトの恩師・野村克也監督以来29年ぶりの「選手兼任監督(プレイングマネージャー)」に就任します。選手時代のキャッチャーミットをかぶってのリーダーシップ、またその人気が高く評価された結果です。
そして、2004年の球界再編騒動を、選手会長として選手を率いてオーナー陣と粘り強く交渉した経験もあり、結果的に日本プロ野球は12球団存続に至りました。その交渉力が評価されたとも言えるでしょう。
兼任監督としての古田監督は、それでも監督としては若手。練習の合間の空き時間に選手たちとゲームをするなど、フレンドリーに接することで選手の話を聞く兼任監督でした。 球界でも珍しい2年間の「選手兼任監督」を務めるなか、のちに語り草となる「代打・オレ」のエピソードが生まれたのです。

打席に立った「代打・オレ」の胸の内

一般的に監督を兼任しての選手としての出場は、自分を客観視して見極める、冷静な視点が必要とされ、難しいと言われています。そのために29年間も兼任監督が生まれなかったのでしょう。古田兼任監督も、自身を一軍選手登録抹消にする際に悩んだこともあるはずです。
その中で生まれた「代打 オレ」というフレーズは、ジェスチャーを交え、野球ファンのみならず知られているフレーズと言えます。自分に自信があるように聞こえるフレーズかもしれませんが、実際に古田監督が選手兼任監督として「自分」を指名することは、自信ばかりでは務まりません。
「代打・オレ」を使うタイミングは、自分の方が打てると思っても若手の成長に気を配りチャンスを与え、片やベテランにはプライドを守るために大事な場面でだけ起用する、など、各方面に配慮し、考えぬいた上での自身の代打起用だったと後に語っています。いわば「穴埋め」のような自身の選手起用と言えるでしょう。
2006年、選手としては期待されるほどの成績を残せなかったためか、翌年自身がバッターボックスに入る回数はさらに少なくなります。
チームは最下位となった2007年の古田兼任監督の代打出場記録は計7回。そのうちのひとつに印象的な「代打・オレ」のチャンスがありました。最後の打席となる2007年10月7日の広島戦、神宮球場での試合で、マウンドに立ったのはドラフト同期の佐々岡真司選手。佐々岡選手も引退が決まっており、いずれにしても「最後の対決」は、多くの野球ファンの感動を誘いました。
ヤクルトファンのみならず、広島ファンからも熱い声援が送られ、「古田選手」の敵味方を越えた人気をうかがわせる最後の代打シーンは、ファンや対戦相手との思い出を大切にした「古田監督」らしい采配でした。

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