名も無きアマチュア時代から広島の4番へ
新井貴浩選手は広島県出身で広島工業高校から駒沢大学へ進学する。広島工業時代に甲子園出場はなく、駒沢大学でも通算2本塁打の新井選手。
大学4年時に出場した日米大学野球で打率.500の活躍をし、初めて注目を浴びた。その後、1998年のドラフト会議で広島から6位指名を受け入団に至る。この年のドラフト会議は松坂大輔選手が目玉となっており、新井選手は特に注目されておらず、当時広島の1位指名も松坂選手と同じ高卒の東出輝裕選手だった。
入団1年目となった1999年に新井選手は53試合に出場し、プロ初本塁打も記録している。2年目には92試合に出場し二桁本塁打となる16本塁打をマーク、3年目にはレギュラーに定着し規定打席に到達はならなかったものの、124試合に出場するなど着実に成長を続けた。
その後2003年から4番打者として君臨するが、兄貴として慕っていた金本知憲選手の移籍により重圧を受けたことも影響し、成績は下降したためファンからの批判も多くなってきた。
しかし2005年に本塁打王を獲得い、初めて打率3割を達成し見事に復活を果たす。これ以降、広島の顔として新井選手は本塁打を量産する。2006年、2007年と全試合に出場し25本以上の本塁打を放ったのだが、2007年のオフに大きな転機が訪れた。
涙のFA「辛いです…」
2007年中にFA権を取得した新井選手は、苦しみ考え抜きFA宣言を行う。その会見では「カープが大好きなので辛かったです…。辛いです」と涙を流し心境を吐露した。
この会見は多くのファンの心を打つが、前年まで「FA宣言はしない」、「一つの球団で終えるのがいい」と語っていたこともあり反感を買うこともあった。新井選手はそれも承知の上でFA宣言を選択したのだ。
会見での発言によると新井選手のFA宣言は「環境を変え新しい自分に挑戦すること」を主としていた。師匠として兄貴として慕っていた金本選手の後を追って、FA宣言をしたわけではないということを暗に示唆していたのだ。これは金本選手へ迷惑をかけてはいけないという思いから生まれたものだった。
このFA宣言から1ヶ月あまりが過ぎた12月に阪神と入団合意。大きな決断を下した新井選手は、2008年から再び金本選手と共にプレーすることになったのだ。
野次を浴びながらも懸命にプレーした阪神時代
2008年から再び金本選手とプレーすることになった新井選手に試練が訪れる。広島ファンからの激しい野次、罵声を浴びるようになったのだ。特に広島球場での阪神戦は、新井選手に対して激しい野次が浴びせられた。ユニフォームがスタンドから投げ込まれることもあり、日本野球界ではあまり見かけない過激な光景が日常となってしまう。
しかしこういった野次にも負けずプレーしつづけた結果、新井選手は移籍初年度に通算1000本安打を達成。同日に金本選手が2000本安打をマークするなど実力を見せつけた。新井選手はこの年、オリンピックによる離脱期間はあったものの94試合に出場し打率.306をマークしたのだ。
移籍2年目となる2009年から2011年までの3年間は、全試合出場を果たすなど阪神に大きく貢献し、金本選手とともにチームを引っ張った。
しかし広島球場から広い甲子園球場に本拠地が変わったこともあり、本塁打数は激減する。2010年の19本塁打が阪神時代のキャリアハイとなり、一度も20本塁打を達成することはできなかった。また2009年、2011年には併殺打が多く、リーグ最多の併殺を記録している。
2011年は打点王を獲得したものの併殺打、失策でもリーグ最多となっており金本選手によって「三冠王」の記念Tシャツが作成された。
これは金本選手による新井選手イジリであり、誰もが愛する「新井さん」へだからこそ許されるものだったのだ。
その後、新井選手は2014年まで阪神でプレーし、シーズン終了後は自由契約を選択し古巣広島へ復帰するのだ。
8年ぶりの広島へ復帰
2014年オフ広島には2人の男が帰ってきた。1人は涙のFA宣言で阪神へ移籍し8年ぶりに復帰した新井選手だ。もう一人は新井選手同様FA権を行使し海を渡った黒田博樹選手だ。
黒田選手、新井選手の帰還に広島の街は湧いた。エースの前田健太選手も健在ということで優勝を期待するファンが多数球場も詰めかけ、連日のようにマツダスタジアムは満員の観客で膨れ上がる。
しかし2015年シーズンはあと一歩のところでクライマックスシリーズ進出を逃し、ファンは大きなため息をついた。このシーズンオフには前田選手がポスティングシステムを利用し、メジャーリーグ移籍することが確実だったからだ。
最後ともいえる優勝のチャンスを逃したかに思われた広島だが、2016年シーズンは快進撃を見せてくれた。黒田選手に影響された若い投手陣が頑張り、新井選手より一回りほども若い田中広輔選手、菊池涼介選手、丸佳浩選手の「タナキクマル」コンビが躍動。
25年ぶりのセ・リーグ制覇を成し遂げたのだ。その記念すべきシーズンに新井選手は2000本安打達成でMVPを受賞し、チームに大きく貢献したのだ。優勝を決めたあと、黒田選手と抱き合った姿は多くの報道で取り上げられている。
セ・リーグ制覇を決定づけた試合でサヨナラ打
25年ぶりのセ・リーグ制覇を飾った広島。その象徴となった試合が8月7日の巨人戦だった。広島の本拠地であるマツダスタジアムでの三連戦第三戦となったこの試合。広島が負ければ三連敗となり巨人とのゲーム差は3.5に縮まってしまう大事な試合だった。
しかし、広島は9回裏2死まで6-7で敗色濃厚。この場面で菊池選手が同点本塁打を放ち試合を振り出しに戻す。その後、走者を一人置き打席には新井選手。その新井選手が放った打球は左翼への大きな当たり。巨人の左翼があと一歩のところでボールを取れずサヨナラタイムリー二塁打となったのだ。
新井選手は、二塁ベースを回ったところでヒザをついてガッツポーズ。喜びを爆発させた選手たちが新井選手のもとへ駆け寄った。
この一勝で広島は巨人を突き放し、9月10日の優勝まで勝ち進んだのだ。
成績も素晴らしいものがあるが、新井選手がこのような印象に残る打撃を見せていことがMVPに大きく影響したのではないだろうか。誰からも愛される「新井さん」だからこそのMVPと言えるかもしれない。
2017年シーズンは黒田選手も引退し、二人で役割を分け合ってきた精神的支柱を一人で背負っていくことになる。新井選手は「燃え尽き症候群なんてないよ。逆に燃えてます」と語っており更なる活躍が期待できそうだ。