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無名の存在から広島の頼れる男へ・新井貴浩選手

2017 4/12 20:20cut
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名も無きアマチュア時代から広島の4番へ

新井貴浩選手は広島県出身で広島工業高校から駒沢大学へ進学する。広島工業時代に甲子園出場はなく、駒沢大学でも通算2本塁打の新井選手。
大学4年時に出場した日米大学野球で打率.500の活躍をし、初めて注目を浴びた。その後、1998年のドラフト会議で広島から6位指名を受け入団に至る。この年のドラフト会議は松坂大輔選手が目玉となっており、新井選手は特に注目されておらず、当時広島の1位指名も松坂選手と同じ高卒の東出輝裕選手だった。
入団1年目となった1999年に新井選手は53試合に出場し、プロ初本塁打も記録している。2年目には92試合に出場し二桁本塁打となる16本塁打をマーク、3年目にはレギュラーに定着し規定打席に到達はならなかったものの、124試合に出場するなど着実に成長を続けた。
その後2003年から4番打者として君臨するが、兄貴として慕っていた金本知憲選手の移籍により重圧を受けたことも影響し、成績は下降したためファンからの批判も多くなってきた。
しかし2005年に本塁打王を獲得い、初めて打率3割を達成し見事に復活を果たす。これ以降、広島の顔として新井選手は本塁打を量産する。2006年、2007年と全試合に出場し25本以上の本塁打を放ったのだが、2007年のオフに大きな転機が訪れた。

涙のFA「辛いです…」

2007年中にFA権を取得した新井選手は、苦しみ考え抜きFA宣言を行う。その会見では「カープが大好きなので辛かったです…。辛いです」と涙を流し心境を吐露した。
この会見は多くのファンの心を打つが、前年まで「FA宣言はしない」、「一つの球団で終えるのがいい」と語っていたこともあり反感を買うこともあった。新井選手はそれも承知の上でFA宣言を選択したのだ。
会見での発言によると新井選手のFA宣言は「環境を変え新しい自分に挑戦すること」を主としていた。師匠として兄貴として慕っていた金本選手の後を追って、FA宣言をしたわけではないということを暗に示唆していたのだ。これは金本選手へ迷惑をかけてはいけないという思いから生まれたものだった。
このFA宣言から1ヶ月あまりが過ぎた12月に阪神と入団合意。大きな決断を下した新井選手は、2008年から再び金本選手と共にプレーすることになったのだ。

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