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阪神・原口文仁選手~シンデレラストーリーから2年目のジンクスへ挑む!

2017 4/12 20:20cut
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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甲子園出場も果たした帝京高校時代

原口文仁選手は埼玉県で生まれ育ち、中学生時代に寄居リトルシニアでプレーしていた。寄居リトルシニアは現在の深谷彩北リトルシニアで関東大会にも出場している強豪チームだ。原口選手以外にも社会人野球の富士重工業で副主将として活躍する日置翔兼(ひおきしょうけん)選手も輩出している。
その後、原口選手は東東京の名門校である帝京高校へ進学。帝京高校時代、本格的に捕手へ転向する。3年生の夏に甲子園出場を果たし3試合で打率.385の活躍。その時のチームメートとしてベンチ入りメンバーには山崎康晃(DeNA)選手、伊藤拓郎選手(元DeNA)らが名を連ねていた。
原口選手は甲子園での活躍もありドラフトでも注目を浴びる存在となったが、上位候補ではなく下位指名候補としての評価だったのだ。この年のドラフトでは花巻東高校の菊池雄星(きくちゆうせい)選手(西武)、横浜高校の筒香嘉智(つつごうよしとも)選手(DeNA)が注目を集めており原口選手は指名当落線上の選手だった。
そんな状況の中で迎えたドラフト会議で原口選手は阪神から6位で指名されプロ入りを果たすのだ。

プロ入り後3年で育成契約へ

2009年のドラフトで阪神から6位指名を受けた原口選手は高卒ルーキーということもあり、2010年は二軍での出場も少なく体づくりに専念した。翌2011年は48試合に出場し打率.329、2本塁打11打点の成績を残す。しかし、一軍に呼ばれることはなく二軍での日々が続いた。
2012年は腰の負傷もありシーズンを通して16試合の出場に終わり、支配下登録から外れ育成契約になってしまう。原口選手はドラフト指名から一度も一軍での試合に出場すること無く育成選手となってしまったのだ。
しかし、2013年、2014年、2015年と二軍で黙々と練習に励んだ原口選手は育成契約ながら毎年契約を更新し球団からは期待をかけられていた。 その結果が2016年のシンデレラストーリーへの土台になっているのだ。

育成契約から月間MVPへのシンデレラストーリー

育成契約だった原口選手は2016年ペナントレースが始まる前の春季キャンプでアピールを続ける。育成契約ながらオープン戦にも出場し、3試合で打率.200の成績を残している。契約の問題もあり開幕は二軍スタートとなった原口選手だが、4月27日に運命が大きく変わる。
2013年シーズン以来、3年ぶりとなる支配下登録選手となったのだ。また、同日に一軍昇格し即日デビューを果たす。急遽の支配下登録、一軍デビューだったこともありユニフォームが間に合わなかった原口選手はこの試合で山田勝彦二軍バッテリーコーチのユニフォームで出場している。
その後、スタメンに定着した原口選手は5月に打率.380、5本塁打、17打点の活躍で月間MVPまで獲得したのだ。育成契約から支配下登録され一軍デビューを果たし、わずか一ヶ月で月間MVPの栄誉を勝ち取ったのだ。
新聞や雑誌には『シンデレラストーリー』の見出しが大きく並んだ。決してこの表現は大げさではなく、阪神ファン以外の多くの野球ファンもその表現には納得していただろう。
また、原口選手はシーズンオフの契約更改で推定年俸が480万円から2200万円に大幅昇給。1720万円アップそして358%の上がり幅となったのだ。この上がり幅は阪神球団史上歴代最高となっている。

オールスターでの再会

原口選手は前半戦での活躍が認められオールスターゲームに出場することになった。ファン投票における捕手部門でで中村悠平選手(ヤクルト)に次ぐ得票数を集め2位だったが、監督推薦によって選ばれたのだ。
オールスターゲームのファン投票はインターネットによる投票、各球場に置かれている投票用紙において投票をする。原口選手は彗星のごとく現れたこともあり投票用紙に名前がなかった。投票用紙に名前がない選手へ投票するには投票者が自身で書き込まねばならず得票数を伸ばすのは至難の業だ。
原口選手はそのハンデを乗り越え中間発表では1位に浮上するなど得票数を伸ばす。最終的には前年の優勝チームでレギュラーを張った中村選手に1位の座は譲るが大健闘を見せてくれた。
初めての出場となった原口選手は第一戦、第二戦とも途中出場で出場する。第一戦では打席は回ってこなかったが、第二戦では最初の打席で二塁打を放つなど存在感を見せてくれた。
しかし、原口選手のオールスターでの見せ場は打席ではない。横浜スタジアムでの第二戦でバッテリーを組んだ山崎選手との帝京高校バッテリー復活だろう。
横浜スタジアムを本拠地とする山崎が敵味方関係なく鳴り響く『ヤスアキ』コールの中、異様な雰囲気に包まれた9回表。捕手としてボールを受けたのは原口選手だった。
この2人は帝京高校で原口選手が1学年上の先輩後輩でもあり2009年夏の甲子園ではバッテリーを組んでいた。高校時代以来のバッテリーに2人は感慨深げだ。 その初球、何度も首を振り投じたのはなんとナックル。ストライクゾーンを通過するが原口選手はその大きな揺れに捕球できなかった。 1安打を許したものの無失点に抑えた帝京高校バッテリー。年に一度となる夢の球宴ならではのことだった。

2年目のジンクスに挑む

実質1年目を終えた原口選手は107試合に出場し規定打席には到達しなかったものの打率.299、11本塁打、46打点と好成績を残す。
シーズン中は打力を買われて捕手だけでなく一塁手としての出場もしていた。しかし、オフの秋季キャンプでは捕手一本で勝負することを宣言。2017年シーズンは捕手のみで勝負することを誓った。
昨今のプロ野球では『打てる捕手』の人数が減ってきており規定打席に到達する選手も少なくなった。2016年は12球団を見渡しても巨人の小林誠司選手ただ1人だ。しかし、その小林選手は打率.204と規定打席到達者の中でワーストだった。
原口選手には現在の捕手像を打ち破る活躍が渇望されているのだ。 実質2年目となる2017年シーズンは2016年シーズン以上のマークが予想され成績を残すことが難しくなってくる。『2年目のジンクス』に陥らない活躍を期待する。