ブレイクまでの鈴木誠也選手
鈴木誠也選手は東京都荒川区で生まれ育ち二松学舎大付属高校に進学する。二松学舎大学付属時代はエースとして活躍するが、甲子園の土を踏むことはできなかった。しかし、東京都大会では好投を見せる活躍、また、高校通算43本塁打と打者としても注目を浴びていた。
ドラフト前には数多くの高校から調査届が届き鈴木選手はプロ志望届を提出した。迎えた2012年ドラフト会議で広島から2位指名を受け入団。晴れてプロ野球選手となったのだ。この年のドラフト会議では甲子園春夏連覇を果たした藤浪晋太郎選手(大阪桐蔭高校→阪神)、160キロ右腕の大谷翔平選手(花巻東高校→日本ハム)が注目を浴びていた。そう、鈴木選手は「大谷世代」なのだ。
鈴木選手は広島に入団後投手から野手に転向し野手一本で勝負することになる。1年目の鈴木選手はシーズン終盤に一軍昇格。11試合に出場し12打数1安打、打率.083の成績を残す。多くの高卒選手はプロ1年目に一軍デビューを果たすことができない中で鈴木選手はデビュー。期待の高さがここからもうかがえる。
2年目に35試合出場しオフにはU-21ワールドカップ日本代表にも選出されている。この大会では首位打者、ベストナインを獲得し3年目の飛躍につなげる。日本代表のチームメートには鈴木選手と同じく2016年シーズンにブレイクを果たした北條史也選手(阪神)もおりベストナインを獲得している。
2年めオフの活躍もあり3年目となる2015年は開幕スタメンを果たす。しかし、レギュラー定着とは行かず97試合の出場。徐々に出場試合数を増やしているが、あと一歩突き抜けるものがなかった。
しかし、2016年シーズンは開幕こそ出遅れたものの、6月から徐々に調子を上げレギュラーに定着。「神ってる」本塁打を連発し、日本代表にまで上り詰めたのだ。
「神ってる」発言の発端はオリックス戦
鈴木選手が一躍、全国区となったのは、2016年6月に行われたオリックスとの交流戦だ。マツダスタジアムで行われた広島対オリックスの三連戦の初戦、4-4で迎えた延長12回裏無死二塁の場面で、鈴木選手は打席に向かう。カウント3ボール2ストライクからの7球目に、鈴木選手は、低めの球を上手くすくい上げ、レフトスタンドへ2ランホームランを放ち、サヨナラ勝ち。
翌日は2点ビハインドの9回裏1死一、三塁で打席に入った鈴木は、オリックスの守護神平野佳寿選手から、レフトスタンドへの2試合連続となるサヨナラホームランを放つ。テレビの実況でも「これがあるからプロ野球は面白い」と発言されるほど、筋書きのないドラマのようだった。
この試合のあとに行われたインタビューで広島・緒方孝市監督が「神ってる」というフレーズを使い、一躍人気選手の仲間入りを果たしたのだ。
三連戦の最終戦でも、8回に決勝本塁打を放つなど、鈴木選手は3試合連続本塁打でオリックスに三連勝。チームも勢いに乗った。
ポストシーズンでの苦悩
広島は9月10日に優勝を決め、クライマックスシリーズまで本当の意味での真剣勝負から遠ざかってしまう。また、レギュラーシーズン終了からは10日ほどの感覚があり調整も難しくなってくるのだ。その中で鈴木選手は調子を落とすことなくシーズンを終え、初めてのポストシーズンに挑んだ。
しかし、DeNAとのクライマックスシリーズでは4試合で打率.083と力を発揮できなかった。1番打者の田中広輔選手が12打数10安打、打率.833と驚異的な数字を残したのは対照的だ。
日本シリーズでも、日本ハム投手陣の前に封じ込められ、6試合で18打数4安打、打率.222に終わる。マツダスタジアムでの第6戦で日本ハムに敗れたあと、鈴木選手は、深夜まで室内の打撃練習場で打撃練習を行った。
負けた悔しさ、自分自身の不甲斐なさに腹が立ち、練習場へ足を運んだのだ。このストイックさが鈴木選手の成長を底上げしているのだろう。