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【球史に名を残した偉人達】名選手、名監督にあらずを覆した王貞治監督

2017 4/12 20:20cut
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19年間の監督生活で積み上げた勝利数は1315勝

巨人王貞治監督が誕生したのは1984年のことだった。現役を引退した後1981年から1983年まで藤田元司監督のもとで助監督を務め帝王学を学び満を持して監督起用となったのだ。その後、巨人で5年監督を務めて辞任すると1995年からはダイエーの監督に就任。2008年まで14年間の長期政権を築いた。
ダイエー、ソフトバンク時代はレギュラーシーズンで勝率1位となりながらプレーオフで敗退しリーグ優勝を逃すこともあったが1999年から常勝軍団を作り上げる。途中、胃がんの手術で欠場もありながらチームをまとめ2008年に秋山幸二監督へバトンタッチを果たした。
巨人、ダイエー(ソフトバンク)で19年間の監督在任期間中に挙げた1315勝は歴代8位の記録となっている。また、監督任期中である2006年に開催された第1回WBCにおいても監督を行い見事、日本代表を優勝に導くなど大きな功績を残した。

<王貞治監督成績>
日本一:2回(1999年、2003年)
リーグ優勝:4回(1987年、1999年、2000年、2003年)
Aクラス:15回
Bクラス:4回
通算戦績:1315勝1118敗74分 .540

「世界の王」でも監督を解任される厳しい世界

1984年に巨人の監督に就任した王監督。監督経験が初めてということもあったのか、優勝したチームを引き継いだにも関わらず初年度は3位、翌1985年も3位と優勝争いに絡めない。4年目となった1987年にリーグ優勝を果たすが日本シリーズでは敗れ日本一になることはできなかった。 翌1988年は2位に終わり5年間で1度のリーグ優勝を果たしたのみで解任となった。
この時、王監督はシーズン終了前に解任を通告されているのだ。「世界の王」でも結果を残せなければ解任される。それがプロ野球の監督という職業と言えるかもしれない。 王監督が解任された1988年は、後楽園球場から東京ドームに本拠地が変わった元年でもあり、巨人も力を入れていた。しかし、結果は2位となり夏頃には「続投」の噂もあったがシーズン途中での解任通告となったのだ。

生卵事件から常勝軍団へ

王監督は1988年に監督を退任後7年の時を経て1995年にダイエーの監督に就任した。ダイエーは南海の血を引く球団だったが、福岡に本拠地を移し新チームとして生まれ変わっていた。しかし、成績は向上せず王監督には期待が寄せられていたのだ。しかし、一向に成績は改善されず、王監督が就任後2年目となった1996年にはあまりの弱さにファンが暴動を起こし、王監督や選手を乗せたバスへ向かって生卵を投げつけられた。
それほどまでにファンの鬱憤は溜まっていたのだ。世界の本塁打王として輝かしい実績を残した王監督だが選手時代のように監督として実績を残すことはなかなか出来なかった。
1997年もBクラスとなる4位になったものの1998年には球団創設以来初となるAクラス南海時代を含めると1977年以来21年ぶりのAクラスとなったのだ。1977年に南海をAクラスに導いたのはノムさんこと野村克也選手兼任監督最後の年だった。野村克也選手兼任監督が退団後Aクラスがなかった球団を王監督が復活させるというシナリオには感慨深いものがある。
その後、1999年に初優勝を果たすと2007年までAクラスをキープするが2008年に最下位となり秋山幸二監督へチームを託した。 監督として最後の試合の相手は野村克也監督が率いる楽天だった。ここでも、王監督と野村監督は巡り合うのだ。最後の試合を勝利で飾ることはできなかったがビジターの仙台ながらセレモニーが行われた。このことからも、王監督の偉大さがよくわかる。

大きな注目を浴びた「ON監督対決」

現役時代共に同じ釜の飯を食い、巨人のV9を支えた長嶋茂雄監督と日本シリーズで顔を合わせたのは2000年のことだった。「ON監督対決」として世間は大きく取り上げ野球ファンの注目度も高いシリーズとなった。ダイエーは1999年に日本一となっており二連覇をかけてシリーズに挑む。前身の南海時代を含めても日本シリーズ連覇を果たしたことがなく王監督にかかる期待は大きいものがあった。
また、その球団史上初の偉業の相手が、盟友でもある長嶋監督の率いる巨人というのも面白いものだ。野村監督であったり長嶋監督であったりと王監督は節目でライバルであり盟友たちと巡り合うことになるのは野球人の持って生まれた宿命なのかもしれない。
このシリーズでは王監督率いるダイエーが2連勝してシリーズを優位に進めるが、3戦目からは長嶋監督率いる巨人に4連勝され2勝4敗で王監督は日本一になることができなかった。 これ以降、日本シリーズで長嶋巨人と王ダイエー(ソフトバンク)が顔を合わせることはなく最初で最後の「ON監督対決」となった。2人が監督退任後も2016年終了現在で対戦はない。

WBCで初代王者に

2006年に第1回が開催されたWBCで監督を務めたのは王監督だった。初めての国際大会となった同大会で王監督はメジャーリーガーを招集する意向を示す。
イチロー選手(マリナーズ)、松井秀喜選手(ヤンキース)の共演をファンも心待ちにしており王監督に期待を寄せた。しかし、松井選手は出場を辞退。その他のメジャーリーガーも開幕前ということで軒並み辞退したのだ。メジャーリーガーはイチロー選手、大塚晶則選手(レンジャーズ)の2名となってしまう。
しかし、王監督は国内組から精鋭を集め本大会に挑む。 1次リーグを2勝1敗で突破しアメリカへ乗り込んだ日本代表は2次リーグの初戦で強豪アメリカと対戦。このアメリカ戦は「世紀の大誤審」と呼ばれる出来事が起きた。 犠牲フライによるタッチアップで生還した得点が覆り認められなかったのだ。これは前代未聞のことで王監督も猛抗議をする、しかし、判定は再度覆ることなく得点にならない。その1点が大きな分かれ目となりサヨナラ負けを喫してしまった。
続くメキシコには6-1で勝利したものの韓国に1-2で敗れ自力での準決勝進出はなくなる。しかし、同リーグで準決勝進出を争っていたアメリカがまさかの敗退。日本が準決勝に進むこととなったのだ。 王監督は準決勝で韓国、決勝でキューバを破り初代王者に輝いた。 この優勝で王監督率いる日本代表は、日本プロスポーツ大賞に輝くなど日本のスポーツ界に大きな足跡を残したのだ。
王監督は巨人の監督時代、ダイエーの監督時代前期と不遇な時代を過ごしたが持ち前の忍耐力で耐え忍び結果を残すことに成功した。また、日本代表という国民の期待を背負ったチームでも成果を出し「名選手、名監督にあらず」という言葉を覆してくれたのかもしれない。 現在はソフトバンクの会長と立場は変わったが球団を超えてプロ野球界の発展に務めている。

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