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1990年代から2000年代にドラフト指名を拒否した選手を紹介

2017 3/3 18:51
新人選手
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Photo by Pam Walker/Shutterstock.com

1990年代以降にドラフトを拒否した選手は、その背景にも特色がある。 多くのプロ球団から指名されるも、希望と違っていたため拒否した選手から、ドラフト制度の根本を揺るがした選手まで、余すところなく紹介する。

史上最多タイの8球団から指名された小池秀郎氏

亜細亜大学在籍時は大学選手権に優勝、数々の記録を打ち立てて大学ナンバーワン投手の評価を受けていた小池秀郎氏。1990年のドラフトも、前年の野茂英雄氏と並ぶ史上最多の8球団から指名を受けたが、抽選の結果ロッテオリオンズが交渉権を得た。
ロッテは事前に指名回避の旨を本人に伝えていたにもかかわらず、当日になって強行指名したのだ。これに不快感を覚えた小池氏は、指名を拒否して社会人に進む。しかし、社会人時代に故障してしまい、4年後のドラフト時には全球団OKの姿勢を打ち出して近鉄バファローズに入団したものの、ケガの影響で思ったような活躍ができなかった。

社会人経験も積んだ苦労人の福留孝介選手

地元の強豪PL学園高校で4番打者として活躍した福留孝介選手は、1995年のドラフトで高校生としては当時史上最多の7球団から指名を受けた。近鉄バファローズが交渉権を獲得したが、希望球団が読売巨人軍か中日ドラゴンズであり、セリーグ向きのプレースタイルであるとの周りからのアドバイスもあり、指名を拒否した。
その後社会人に進み、営業で外回りを行うなどの社会人経験を積みながら野球でも活躍、1996年のアトランタオリンピック代表選手にも選ばれ、銀メダル獲得に貢献した。そして1998年のドラフトで中日に入団、初年度から打率2割9分、16本塁打の成績を残し、リーグ優勝に貢献した。

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