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広島東洋カープの名試合を試合内容とともに振り返る!

2017 3/3 18:51
>バッターⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

広島東洋カープは赤ヘル軍団と呼ばれ数々の記憶に残るような名場面を残している。ファンなら記憶に残っているような試合を5つ紹介していく。

広島東洋カープの名試合1975年10月15日

この日の試合は後楽園球場で読売ジャイアンツとの試合だ。1点の先取点を取った広島カープだが追加点が取れず、読売ジャイアンツも粘りながら良い守りをしていた。9回1アウトで1、2塁の場面でバッターボックスに立ったのは、ホプキンス選手だ。読売ジャイアンツの5人目の投手高橋一選手からダメ押し点となるホームランを放ち3点を追加した。
これによってセリーグに加入して以来26年で悲願の優勝を達成した日となったのだ。

広島東洋カープの名試合1987年6月13日

この日は満員の広島市民球場で中日ドラゴンズと対戦した。ルー・ゲーリッグが持っていた当時の2130連続試合出場の世界記録を抜き、2131試合の出場を果たした日となる。中日ドラゴンズの小松辰雄投手からレフトへ8号ホームランを打って自身の世界記録に花を添えた。
記録は最終の出場試合となった10月22日までに2215試合に連続出場し、この功績が認められて広島東洋カープの背番号「3」は永久欠番となっている。

広島東洋カープの名試合1991年4月14日

津田恒実選手が1990年に右ひざと右肩を故障したために4試合しか登板せず、体調不良のまま迎えた1991年のこの日、体に無理をして試合に出場した。対戦相手は読売ジャイアンツで広島市民球場で行われた。先発の北別府学選手の後に8回表に登板をするが、ノーアウト2,3塁のピンチを招いた後に読売ジャイアンツの原辰徳選手に打たれ、わずか9球で降板となった。
敗戦投手となってしまったこの試合が津田選手にとっての生涯最後の試合となった。

広島東洋カープの名名試合2007年9月1日

この日は広島市民球場で中日ドラゴンズとの試合だった。8回裏広島東洋カープのバッターは前田智徳選手で、中日ドラゴンズのバッターは久本祐一選手だった。
前田選手はライト前に2点タイムリーとなるヒットを放ち、日本プロ野球史上36に目で、メジャーリーグに所属している選手も含めると38人目となる2000本安打を達成した。広島市民球場での記録達成となりファンもチームも大いに盛り上がり記憶に残る場面となった。

広島東洋カープの名試合2012年4月6日

この日は横浜スタジアムでの横浜DeNAベイスターズとの一戦で、先発は前田健太選手だった。
横浜DeNAベイスターズの打者29人と122球で勝負をした。内容は2四球6奪三振で押さえてノーヒットノーランという快挙を成し遂げた。日本プロ野球としては74人目で85回目となり、2006年中日ドラゴンズの山本昌選手以来6年ぶりだ。広島東洋カープの選手としては1999年の佐々岡真司選手以来13年ぶりであり大いに盛り上がった試合だ。

まとめ

広島東洋カープの名試合を紹介した。快挙が達成された試合や優勝を成し遂げた試合等ファンを大いに楽しませてくれた。これからも真剣勝負で熱い戦いを繰り広げてくれる選手たちから、目が離せない。