「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

ホークスファン震撼!プロ野球の球史に残るトレード【2003年】

2017 2/21 19:13
野球
このエントリーをはてなブックマークに追加

出典: NorGal/shutterstock.com

2003年のオフ、プロ野球界に激震が走った。 福岡ダイエーホークスの主力選手だった小久保裕紀さんが、読売ジャイアンツに無償でトレードされたのだ。 チームリーダーとしても人望のあった小久保さんに何があったのか。衝撃のトレードの流れを追ってみよう。

小久保裕紀さんはどんな選手だった?

小久保裕紀さんといえば、野球ファンならご存知の通り、野球日本代表の監督を務める元プロ野球選手だ。
1993年のドラフト会議にて逆指名で当時の福岡ダイエーホークスに入団。美しい放物線を描くホームランが特徴的な選手で、引退までに通算413本というホームランを量産。ホークスの中軸を支える長距離砲として活躍した。 なお、文武両道で、学生時代の成績は常にクラスで5番以内に入るほどだったというエピソードもある。

ホークスのチームリーダー・小久保裕紀

その実績から「ミスターホークス」と呼ばれた小久保さん。2000年頃から三塁手レギュラーとして試合に出続け、試合外でもチームの選手会長に就任するなど、リーダーとしてなくてはならない存在になっていく。
本人も野球に対する態度は真摯であり、とても練習熱心な人物だった。同じ長距離バッターの松中信彦さんや、ホークスのエース・斉藤和巳さんを筆頭に、チーム内外問わず小久保さんに憧れる後輩が増え続けたようだ。

球界を震撼させたジャイアンツとの"無償"トレード

2003年のオープン戦で、小久保さんは走塁の際に右膝に全治6ヶ月の重傷を負ってしまう。シーズン中もリハビリで終わり、翌年からの復帰に期待がかかる中、突然ダイエー・ジャイアンツ間での「無償トレード」が発表されたのだ。移籍の理由としては、球団社長と小久保さんの間に生まれていた確執や、球団の経営を圧迫する年俸の高さがあったと言われている。
小久保さんの前代未聞のトレードを受け、チームは2003年シーズン優勝旅行をボイコット。球界を震撼させた大きな事件となったのだった。

ジャイアンツ・小久保裕紀の誕生、そして

ジャイアンツで新たなスタートを切った小久保さん。チームが変わってもその野球に対する真面目な態度は変わらず、チームの中心選手として活躍していった。特にジャイアンツはメジャーリーグに移籍した松井秀喜さん以来、中軸を担う長距離打者が不足しており、ホームランアーティストである小久保さんに大きな期待を寄せていたのだった。
怪我もあり、不安を抱えながらシーズンを迎えるも、膝の回復とともにホームランを量産。ジャイアンツの右打者として史上初となるシーズン40本塁打以上を達成するのだ。 そして2006年、小久保さんに再び転機が訪れたのだ。

FA宣言?ホークス球団念願のチーム復帰

小久保さんは2006年のオフにFA権を取得。その頃のホークスは球団経営がソフトバンクになり、新たなチームとして生まれ変わっていた。
球団を買った孫正義オーナーをはじめ、当時監督を務めていた王貞治さん、選手やファンのみんなが願う小久保さんのホークス復帰。残留を希望するジャイアンツとの間で悩んだが、小久保さんは決意する。

「王監督の下でもう一度やりたい」

出典: 夢空間スポーツ

そして2006年のオフ、「ミスターホークス」は福岡へと帰ってきたのだった。

まとめ

プロ野球史に強烈な爪痕を遺した2003年のトレード。 小久保さんとホークスがそうであったように、たとえ遠く離れても、強い縁で結ばれていれば、再び道はひとつに繋がるのではないだろうか。