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プロ野球、楽天が発表した2010年の電撃トレードの背景とは!

2017 2/21 19:13
野球
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出典: NorGal/shutterstock.com

2010年12月9日、東北楽天から渡辺直人内野手の横浜への金銭トレード成立が発表された。 チーム生え抜きの中心選手の放出というまったく予期せぬ発表だっただけに球界に衝撃が走った。 トレードに至った経緯などを振り返る。

渡辺選手は楽天入団後、すぐにレギュラーとして活躍

渡辺直人選手が所属していた楽天イーグルズは、2005年にパリーグに加盟した一番新しい球団で、発足1年目と2年目は首位から大きく引き離された最下位だった。最初は戦力的に大きく劣る状況だったが、ドラフトやトレードで次第に戦力も整い、2006年から就任した野村克也監督の下でチーム力もアップした。
渡辺選手が大学生・社会人ドラフトの5巡指名を受けて入団したのは、楽天球団発足3年目だった。渡辺選手は2007年からすぐにショートのレギュラーとして活躍。チームの最下位脱出に貢献した。

2010年オフ、不動のレギュラーとして契約を更改

渡辺選手の特徴は出塁率の高さと俊足で、2008年には盗塁34でリーグ2位を記録、守備力にも定評があり、入団4年目の2010年には完全にチームの中心選手になっていた。また、チームとしても田中将大投手や岩隈久志投手などの活躍で2009年にはチームとして最高順位の2位になり、クライマックスシリーズに進出した。
しかし、2010年はブラウン監督下で最下位に逆戻りし、渡辺選手も不振に陥り規定打席に到達しない低調な成績に終わった。それでもオフの12月1日には契約を更改した。

その更改から8日目にトレード発表。大型補強の余波が背景

渡辺選手の金銭トレードが発表されたのは、契約更改からわずか8日目のことで、自身にとってもチームメイトにとっても寝耳に水の出来事だった。しかし、これには伏線があった。渡辺選手が契約を更改する前の11月の時点で、同じ内野手としてメジャー経験がある松井稼頭央選手と岩村明憲選手の入団が発表されていたのだ。
高年棒の2人のメジャー帰り選手に出場機会が与えられ、渡辺選手がその余波を受けることが確実となっていた。球団の金銭事情も重なり、守備力強化を目指す横浜と思惑が一致したのだ。

涙の惜別後、渡辺選手は横浜で活躍、オールスターにも出場

渡辺選手は当時楽天の選手会の副会長に就任したばかりで、入団4年目の選手ながらフォア・ザ・チームのプレースタイルでチームメイトから熱い信頼を得ており、ファンからも愛されていた選手だった。
大型補強による影響を受けたチーム生え抜き選手のトレードに惜別の声が渦巻くなか、渡辺選手は新天地に新たな活躍の場を求めて涙の旅立ちとなった。そして、横浜へ移籍した最初の2011年は開幕スタメンを勝ち取り、自身初のオールスター出場を果たすなどの活躍を見せた。

現在は西武に移籍。球団最年長選手の37歳で目指すはスタメン

横浜移籍後の渡辺選手は、2012年に怪我の影響などから不振に陥り、翌2013年は出場機会を大きく減らした。そしてシーズン中の2013年7月7日に西武ライオンズの長田秀一郎選手との交換トレードが成立した。
2016年は西武へ移籍して4年目で、規定打席には到達しなかったが、3割を超える打率を残して契約を更改。2017年は37歳で球団最年長選手となるものの、契約更改の場で「スタメンで多くの試合に出場したい。監督も変わったので心機一転優勝を目指したい」と意欲を見せている。

まとめ

チーム生え抜き選手であった渡辺選手のトレード発表は電撃的なニュースだった。 チーム力のアップを目指す楽天の構想から外れることになった渡辺選手は、当時犠牲者的な存在だった。 しかし、現在3チーム目の西武でもバリバリの現役だ。来シーズンの活躍に注目しよう。