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東京ヤクルトスワローズで永久欠番について歴史と背景をご紹介します。

2017 2/21 19:13
野球
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Photo by NorGal/ Shutterstock, Inc.

東京ヤクルトスワローズはリーグ優勝7回、日本一には5回輝いている球団だ。多くのスター選手を育ててきた球団の永久欠番について欠番となった背景について詳しく見ていきたい。

東京ヤクルトスワローズの永久欠番

2016年の時点で東京ヤクルトスワローズに公認された永久欠番はない。初の日本一となった1978年に主砲だった大杉勝男選手の背番号「8」が1983年に保留欠番となり、1984年に引退試合の後欠番となった。
1年間欠番となり1985年に大杉選手本人の申し出から入団をした広沢克己選手が使用することとなり欠番ではなくなった。その後も辻発彦選手、佐藤真一選手、竹内晋一選手が背番号「8」を使用している。

東京ヤクルトスワローズの準永久欠番の条件

東京ヤクルトスワローズには現在永久欠番はないが、準永久欠番はある。原則的に球団の生え抜きまたはフリーエージェントで獲得をした選手でそれに見合った実績、成績を上げている選手のみが使用できるのが準永久欠番だ。対象となる選手は推薦が必要だ。
現在準永久欠番となっているのは宮本慎也選手がつけていた背番号「6」と古田敦也選手がつけていた背番号「27」の二つだ。以前に準永久欠番だったものに背番号「1」がある。

東京ヤクルトスワローズ準永久欠番「27」古田敦也選手

2007年に引退をした古田敦也選手は、その年の10月に球団側よりその功績が認められ背番号「27」を名誉番号にすることが発表された。名誉番号は実績を積んだ捕手のみが使用することができる背番号で、球団と古田選手のどちらかが推薦する選手が出るまでは欠番となる。
2009年に横浜ベイスターズかあフリーエージェントで移籍してきた相川亮二選手が入団する際に背番号「27」を打診されたが、相川選手が辞退をしたために今も準永久欠番だ。

東京ヤクルトスワローズ準永久欠番「6」宮本慎也選手

2013年に引退をした宮本選手は、ヤクルトの誇りである名遊撃手で、北京オリンピックの日本代表のキャプテン、日本プロ野球選手会会長も務めていたことからその功績が認められ、名誉番号となった。1995年にドラフト2位で入団し、入団の際に背番号「5」か「6」を提示され、本人が「6」を選んだ。
宮本選手の前には水谷慎太郎選手が使用をしていた。背番号「6」は守備の名手であり打撃力もある攻守に秀でている遊撃手に与えられる番号となる。

東京ヤクルトスワローズ準永久欠番「1」若松勉選手

1989年に若松選手が引退する際に、背番号「1」を永久欠番にしたいという著名が多く集まり、球団が当面の間欠番することを決定した。この背番号「1」はミスタースワローズという称号とワンセットとされている。1992年からは池山隆寛選手本人からの熱望により2001年まで使用していた。
2001年からは岩村明憲選手が使用し、2010年からは青木宣親選手が使用してその後は欠番となった。2016年からは山田哲人選手が使用している。

まとめ

東京ヤクルトスワローズには現在永久欠番はないが、準永久欠番となる条件やそれぞれの準永久欠番の持っている意味を紹介した。今後どんな選手が準永久欠番となってる背番号をつけるのか注目したい。

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