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東北楽天ゴールデンイーグルスの永久欠番と準永久欠番を紹介

2017 2/21 19:13
野球
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Photo by Vladimir Mucibabic/ Shutterstock, Inc.

2004年オフに創設された東北楽天ゴールデンイーグルスは、活動期間はまだ長くはないが永久欠番が制定されている。そこには何もないスタートラインに立ち、チームを作り上げてきたたくさんの思いがこもっているのだ。東北楽天ゴールデンイーグルスの永久欠番を、その経緯と共に紹介する。

永久欠番「10」イーグルスファン

東北楽天ゴールデンイーグルスでは、背番号10はファンのための番号として永久欠番になっている。「10」はスターティングメンバーの9人に次ぐ10人目のメンバーという意味が込められている。

プロ野球新規参入は50年ぶりだった。近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの合併に端を発したプロ野球再編騒動の末、2リーグ制維持のために産声を上げた新しいチーム。プロ球団のなかった仙台で、サブメンバーとなってチームを盛り上げてほしいという思いを込めた番号だった。

球団創設当初から欠番だったため、選手から監督やコーチに至るまで、楽天で背番号10を使用した人物はいない。球団マスコットの「クラッチ」が背番号10のユニフォームを着て、イーグルスファンの代表として場を盛り立てている。

準永久欠番「18」田中将大投手

駒大苫小牧高時代から甲子園で活躍し、「マー君」と呼ばれて人気を集めた田中将大投手。2006年、高校生ドラフトで東北楽天ゴールデンイーグルスに入団すると、初年度から196奪三振を記録し、高卒1年目で新人王を受賞する活躍を見せた。

その後も最多勝や最高勝率、最優秀防御率など多くのタイトルを獲得し、創設間もないチームを大いに盛り上げた。2013年にはシーズン無敗の24連勝で最多勝を獲得したほか、ポストシーズンを含めた連勝記録がギネス世界記録にも認定されている。

2014年にはニューヨークヤンキースと契約。活躍の場はメジャーリーグへと移った。生まれたばかりの楽天に光をもたらした田中投手。背番号18は「ふさわしい選手が現れるまでは空きになる」と球団が発表し、準永久欠番となっている。

準永久欠番「19」野村克也監督

野村克也氏は現役時代に捕手として活躍し、1980年に引退。ヤクルトスワローズや阪神タイガースなどの監督を歴任した後、2005年、創設2年目の東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任する。

2008年の73歳の誕生日には、ソフトバンクに球団史上最多の20安打という猛攻を見せ、15点を奪って勝利。この年、選手として通算3017試合に出場していた野村監督は、監督としても通算3000試合を務め、日米通じて初の記録達成となった。

舌鋒鋭いコメントでも注目を集めた野村監督は、試合終了後に語る「ボヤき」が人気を集め、ファンの底辺を広げる役割を果たした。

「ノムさん」の愛称で親しまれ、創設間もない楽天の基礎を築いた名将。背番号19の永久欠番は野村氏が固辞したが、球団の方針として、ふさわしい選手が登場するまで欠番とされている。