背番号3 衣笠 祥雄氏
現在、野球解説者や評論家としてもご活躍されている衣笠 祥雄氏の背負った「背番号3」は、広島カープの永久欠番に指定されている。
「鉄人」と呼ばれ、国民栄誉賞を受賞。1970年から1987年までの17年間で2215試合に連続出場し、連続試合出場記録日本記録は未だに破られておらず、世界記録の中でも2位。主砲として、広島カープの黄金時代を支え続けた選手だ。どんな球にもフルスイングで挑む衣笠氏のバッティングが、記憶に残っている方も多いだろう。
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日本プロ野球界を支えた名誉ある『永久欠番』。記憶に残る名試合を思い出される方も多いのではないだろうか。今回は、広島東洋カープでの永久欠番、準永久欠番に指定された背番号と選手たちを紹介したい。
現在、野球解説者や評論家としてもご活躍されている衣笠 祥雄氏の背負った「背番号3」は、広島カープの永久欠番に指定されている。
「鉄人」と呼ばれ、国民栄誉賞を受賞。1970年から1987年までの17年間で2215試合に連続出場し、連続試合出場記録日本記録は未だに破られておらず、世界記録の中でも2位。主砲として、広島カープの黄金時代を支え続けた選手だ。どんな球にもフルスイングで挑む衣笠氏のバッティングが、記憶に残っている方も多いだろう。
現在は日本プロ野球名球会の理事長を務める「ミスター赤ヘル」こと、山本 浩二氏の現役時代に使用した『背番号8』は広島カープの永久欠番に指定されている。1972年から10年連続のゴールデングラブ賞を受賞、また、法政大学からドラフト1位で入団した山本氏は、1980年にはホームラン王を獲得、現役時代は、通算536本塁打を決めており、大学出身者では日本最多のホームラン記録となっている。
同じく永久欠番に指定される衣笠氏とのコンビは「YK砲」と呼ばれ、広島カープの黄金時代を創りあげてきた。現役引退後は監督に就任、2007年には北京オリンピックの野球日本代表チームの守備、走塁コーチも務めた。
2016年、日本プロ野球、アメリカメジャーリーグで共に活躍した黒田氏の背負った背番号15は永久欠番に指定された。日本人投手で史上初の日米通算先発投手勝利200勝を達成した選手だ。
メジャーリーグでは野茂選手、松坂選手に続き日本人史上3人目の開幕投手を務め、イチロー選手との対決は日本でも注目された。ドジャース、ヤンキースで活躍した7年間のアメリカ生活、メジャーでの高額オファーを断って、現役最後の一球は広島カープのユニフォームで投げたい、と復帰した黒田選手。その言動に日本中が歓喜した。
準永久欠番に指定されている前田選手の背番号1。1990年から23年間広島一筋、美しく無駄のないバッティングフォームは、多くの選手のお手本となった。天才打者とも言われた前田選手の背負った背番号1は、引退後も次の広島背番号『1』を背負う選手の決定権は前田選手が持っている。
当時監督を務めていた、永久欠番、背番号8・ミスター赤ヘルこと山本浩二氏はすでに教えることは何もなかったと高い評価のコメントを残している。
2015年より広島カープの監督を務める緒方氏。2016年は25年ぶりのリーグ優勝に導き、多くのファンを熱狂させた。現役時代には、プロ入り2年目から一軍で活躍し、1997年には3年連続盗塁王の座を獲得。1999年には5年連続のゴールデングラブ賞を受賞と、様々な記録を打ち出した。22年間広島一筋で活躍してきた緒方氏のファンの方も多いのではないだろうか。
2009年の引退試合での活躍も印象的だった。この背番号9は、2014年から丸 佳浩選手が使用している。
1990年から23年間広島カープ一筋でチームを支えてきた前田氏。1994年からずっと背負ってきた背番号1は、準永久欠番として、次の背番号1を背負う選手は前田氏に決定権がある。
現役中、1998年には、東京ドームの看板直撃のホームランを放ち、賞金100万円を獲得した。2007年には日本プロ野球史上38人目となる、2000本安打を達成している。前田氏のバッティングはお手本ともいえるぶれないフォームで、多くの選手やコーチから高い評価を受けていた。入団から引退まで、2000試合以上に出場し、怪我や故障と戦いつつも多くのチームの勝利へ貢献した。
広島東洋カープの永久欠番、準永久欠番となる、広島カープで活躍したスター選手たちを紹介した。地元愛に溢れるカープならではのエピソードは心が温まる。来シーズンも、監督、現役選手たちの活躍も期待大だ。