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エースとして勝てなかった田中将大投手がヤンキースのエースへ

2017 8/17 16:20cut
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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エースとしては果たせなかった甲子園優勝

田中将大投手は兵庫県伊丹市で育ち、高校から北海道の駒大苫小牧高校へ進学。高校時代の田中投手は名将・香田誉士史監督の元で実力をつけ2年夏の全国選手権大会において優勝を果たす。当時は2年生ということもありエースナンバーの「1」ではなく「11」だった。

準決勝の大阪桐蔭戦では平田良介選手(現中日)、中田翔選手(現日本ハム)、辻内崇伸投手(元巨人)相手に5回までノーヒットペースの好投を見せていた。しかし、5-0とリードして迎えた7回に3点を返されると8回に同点に追いつかれ、田中選手はマウンドを後にする。延長に入って1点を勝ち越し、6-5で決勝へ駒を進めたが、この大会で一番苦戦したといえる試合だった。

決勝戦では5回途中からマウンドに登り、優勝の瞬間をマウンドで迎えた。57年ぶりの夏の甲子園連覇となった。

3年生が引退して最上級生となった田中投手は秋の明治神宮大会を制し、春の選抜で夏春連覇がかかっていたが部員による不祥事の影響で出場を辞退。臨んだ最後の夏の甲子園では、決勝で斎藤佑樹投手(現日本ハム)擁する早稲田実業(西東京)と歴史に残る延長再試合の末、優勝を逃す。エースナンバー「1」を背負って臨んだ甲子園で、田中投手は最後の打者となり甲子園に別れを告げた。

エース岩隈久志投手のいる楽天に入団

田中投手は2006年9月に行われた高校生ドラフトで日本ハム、オリックス、横浜、楽天の4球団から1位指名を受け、抽選の末に楽天への入団が決まる。楽天は2005年からの新規参入ということもありチームは弱く、先発投手の層も厚くなかったことから、ローテーション投手としての期待がかかった。

高卒1年目の投手でここまでの期待がかけられていたのは松坂大輔投手(当時西武)以来かもしれない。今や、メジャーリーグを代表する投手になっているダルビッシュ有投手(当時日本ハム)も、ルーキーシーズンにケガの影響があったとはいえ開幕ローテーションには入っておらず、デビューは二軍戦だった。田中投手への期待、実力がよく分かる。

田中投手は1年目に11勝を挙げて新人王。2年目には北京オリンピックの日本代表も選ばれた。楽天では岩隈久志投手というエースがおり、日本代表には杉内俊哉投手(当時ソフトバンク)、ダルビッシュ投手らがいたためエースではなかった。

田中投手が楽天でエースになったのは2011年だろうか。結果的に残留となるが、2010年オフに岩隈投手がポスティングシステムを利用してメジャーリーグ移籍を試みた翌2011年に田中投手は19勝5敗、防御率1.27の成績で沢村賞を受賞する。2011年が岩隈投手に代わり田中投手が楽天のエースになった年と言える。

岩隈投手が2012年にメジャーリーグ移籍を果たした後は、真のエースとして楽天を引っ張る。2012年はケガの影響もあり10勝に終わるが最多奪三振のタイトルを獲得し、日本最後のシーズンと噂された2013年へ弾みを付けた。

前人未到の24連勝 負けないエースとして

開幕前から田中投手は2013年シーズンを最後にメジャーリーグへ挑戦するだろうという憶測がメディア、ファンの間では噂されていた。田中投手は開幕前に第3回WBCに出場しており、開幕戦を則本昂大投手に譲る。田中投手の初先発は開幕4戦目だった。田中投手にとっての開幕戦を白星で飾るとその後、連勝が始まる。

オールスター前までに13勝0敗、防御率1.22と圧倒的な成績。夏場以降も連勝は途切れることがなく、9月6日にはプロ野球タイ記録となる20連勝を達成する。その後もメジャーリーグを含めた連勝記録を上回り、最終的に24まで連勝を伸ばした。

日本シリーズでは1敗を喫したものの日本一を達成。甲子園でエースとして果たせなかった日本一を楽天で果たすことになったのだ。負けないことがエースの条件ということを多くのファンに教えてくれたシーズンでもあった。

シーズンでの24連勝は金字塔としてプロ野球史に燦然と輝く。オフにはポスティングシステムを利用して念願のメジャーリーグ移籍。日本中のファンも、楽天をエースとして日本一に導いた田中投手を快くメジャーリーグに送り出す雰囲気になっていた。

ヤンキースでも負けない投手として

2013年オフにポスティングシステムを利用してメジャーリーグ移籍を狙った田中投手が契約したのはニューヨーク・ヤンキースだった。ヤンキースは田中投手と7年総額1億5500万ドル(約170億円)という超大型契約を結び、大きな期待をかけていた。背景には田中投手の実力への評価に加えて、岩隈投手やダルビッシュ投手が2012年シーズンからメジャーリーグで成功していたことが挙げられる。

2014年シーズン、ヤンキースのエースはサバシア投手、2番手に黒田博樹投手がおり、田中投手はローテーションの3番手、4番手としての働きが求められた。

田中投手は開幕4戦目に先発してメジャーリーグデビュー。記念すべきデビュー戦の先頭打者に田中投手はホームランを浴び2回にも連打で2点を失う。日本中、いや全米のヤンキースファン、田中投手ファンは不安を感じたに違いない。しかし、味方の援護もありこの試合を白星で飾ると5月半ばまで6連勝。シーズン公式戦で田中投手は2012年から34連勝を飾ったのだ。負けない投手として田中選手の評価は大きく上がった。

連勝は6で止まり、その後ケガもあってメジャーリーガーとしてのシーズン1年目は規定投球回に達しない136.1回の登板だったが、13勝を挙げてエース候補に上り詰めた。

ヤンキースのエースからメジャーのエースを目指す

2014年に故障がありながらも13勝を挙げ、2年目のシーズンを迎える。2014年シーズンはエースとして活躍していたサバシア投手の不調もあり、2015年の開幕投手はピネダ投手、ノバ投手らの20代半ばの投手たちの中から田中投手が選ばれた。

田中投手はエースとして認められたのだ。2015年シーズンは開幕戦こそ黒星となるが2勝1敗で4月を終えた。その後、ケガもあって離脱するが、最終的に2年連続二桁勝利となる12勝7敗の成績を残した。

3年目となる2016年シーズンは9月に登板回避があったものの、1年間ローテーションで投げ抜き31試合に登板。3年連続となる二桁勝利を達成し、14勝4敗の成績を残す。エースとして期待されたシーズンで結果を残し、ヤンキースのエースからメジャーを代表するエースへと進化を遂げている田中投手。今後さらなる飛躍に期待したい。