エースとして勝てなかった田中将大選手がヤンキースのエースへ!|【SPAIA】スパイア

「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

エースとして勝てなかった田中将大選手がヤンキースのエースへ!


エースとして優勝を果たせなかった高校時代優勝

田中将大選手は兵庫県伊丹市で育ち高校から北海道の駒大苫小牧高校へ進学する。高校時代の田中選手は名将香田誉士史監督の元で実力をつけ2年時、夏の甲子園選手権大会において優勝を果たす。この当時は2年生ということもありエースナンバーの「1」ではなく「11」だった。
準決勝の大阪桐蔭高校(大阪府)では平田良介選手(現中日)、中田翔選手(現日本ハム)、辻内崇伸選手(元巨人)相手に5回までノーヒットペースの好投を見せていた。しかし、5-0とリードで迎えた7回に3点を返されると8回途に同点へ追いつかれ田中選手はマウンドを後にする。延長に入り1点を勝ち越し6-5で決勝へ駒を進めたがこの大会で一番苦戦したといえる一戦だった。決勝戦では5回途中からマウンドに登り優勝の瞬間をマウンドで迎える。チームとしては57年ぶりの夏の甲子園連覇を果たす。
田中選手の代になり秋の明治神宮大会を制し、春の選抜では夏春連覇の記録がかかっていたが部員による不祥事の影響で出場を辞退する。出場辞退から復帰し臨んだ最後の夏の甲子園選手権大会では、決勝で斎藤佑樹選手(現日本ハム)率いる早稲田実業(西東京)と歴史に残る延長再試合の末、優勝を逃す。エースナンバー「1」を背負い臨んだ甲子園で田中選手は最後の打者となり甲子園と別れを告げた。

エース岩隈久志選手のいる楽天への入団

田中選手は2006年9月に行われた高校生ドラフトで、日本ハム、オリックス、横浜、楽天の4チームから1位指名を受け抽選の末に楽天への入団が決まる。楽天は2005年からのリーグ加入ということもありチームは弱く先発投手の層も厚くなかったことから、ローテーション投手としての期待がかかった。高卒1年目の投手でここまでの期待がかけられていたのは松坂大輔選手(当時西武)以来のことかもしれない。いまや、メジャーリーグを代表する選手になっているダルビッシュ有選手(当時日本ハム)も、ルーキーシーズンにケガの影響があったとはいえ開幕ローテーションには入っておらずデビューは二軍戦だった。田中選手への期待、実力がここでもよくわかる。
田中選手は一年目に11勝を挙げ新人王を獲得。2年目には北京オリンピックの日本代表も選ばれる。楽天では岩隈久志選手というエースがおり日本代表には杉内俊哉選手(当時ソフトバンク)、ダルビッシュ選手らがおりエースではなかった。
田中選手が楽天でエースになったのは2011年だろうか。結果的に残留となるが、2010年オフに岩隈選手がポスティングシステムを利用してメジャーリーグ移籍を試みた翌2011年に田中選手は19勝5敗、防御率1.27の成績を残し沢村賞を獲得する。2011年が岩隈選手に代わり田中選手にとって楽天のエースになった年と言える。
岩隈選手が2012年にメジャーリーグ移籍を果たした後は、真のエースとして楽天を引っ張る。2012年はケガの影響もあり10勝に終わるが最多奪三振のタイトルを獲得し日本最後のシーズンが噂された2013年へ弾みを付けた。

前人未到の24連勝 負けないエースとして

開幕前から田中選手は2013年シーズンを最後にメジャーリーグへ挑戦するだろうという憶測がメディア、ファンの間では噂されていた。田中選手は開幕前に第3回WBCに出場しており、開幕戦を則本昂大選手に譲る。田中選手の初先発はチーム第4戦目だった。田中選手にとっての開幕戦を白星で飾るとその後、連勝を重ねる。
オールスター前までに13勝0敗、防御率1.22と圧倒的な成績を残す。夏場以降も連勝は途切れることがなく9月6日にはプロ野球タイ記録となる20連勝を達成。その後もメジャーリーグを含めた連勝記録を上回り最終的に24まで連勝を伸ばす。日本シリーズでは1敗を喫したものの日本一を達成。甲子園でエースとして果たせなかった日本一を田中選手は楽天で果たすことになったのだ。負けないことがエースの条件ということを多くのファンに教えてくれたシーズンでもあった。
シーズンでの24連勝は金字塔としてプロ野球史に燦然と輝く事になりオフにはポスティングシステムを利用し念願のメジャーリーグ移籍を果たすことになる。日本中のファンも、楽天をエースとして日本一に導いた田中選手を快くメジャーリーグに送り出す雰囲気になっていた。

ヤンキースでも負けない投手として

2013年オフにポスティングシステムを利用してメジャーリーグ移籍を狙った田中選手が契約したのはニューヨーク・ヤンキースだった。ヤンキースは田中選手との契約で7年総額1億5500万ドル(約170億円)という超大型契約を結び期待を大きく掛けていた。その背景には田中選手の実力への評価に加えて岩隈選手、ダルビッシュ選手が2012年シーズンからメジャーリーグで成功していたことが挙げられる。
2014年シーズン、ヤンキースのエースはサバシア選手、2番手には黒田博樹選手がおり田中選手はローテーションの3番手、4番手投手としての働きが求められた。
田中選手は開幕4戦目に先発しメジャーリーグデビューを果たす。記念すべきデビュー戦の先頭打者に田中選手はホームランを浴び2回にも連打で2点を失い、日本中、いや全米のヤンキースファン、田中選手ファンは不安を感じたに違いない。しかし、味方の援護もありこの試合を白星で飾ると5月の半ばまで6連勝を飾る。シーズン公式戦で田中選手は2012年から34連勝を飾ったのだ。負けない投手として田中選手の評価は大きく上がった。
連勝は6で止まりその後、ケガもありメジャーリーガーとしてのシーズン1年目は規定投球回に達しない136.1回の登板だったが13勝を挙げエース候補にまで上り詰めた。

ヤンキースのエースからメジャーのエースを目指す

2014年に故障がありながらも13勝を挙げ、2年目のシーズンを迎える。2014年シーズンはヤンキースのエースとして活躍していたサバシア選手の不調もあり、2015年の開幕投手は、ピネダ選手、ノバ選手らの20代なかばの選手たちの中から田中選手が選ばれた。
田中選手がエースとして認められたのだ。2015年シーズンの田中選手は開幕戦こそ黒星となるが2勝1敗で4月を終えた。その後、ケガもあり離脱をするが最終的に2年連続となる二桁勝利をマークし12勝7敗の成績を残した。
田中選手はエースとしても結果を残したのだ。3年目となる2016年シーズンは9月に登板回避があったものの一年間ローテーションを投げぬき31試合に登板。3年連続となる二桁勝利を達成し14勝4敗の成績を残す。エースとして期待されたシーズンで結果を残し、ヤンキースのエースからメジャーを代表するエースへと進化を遂げている田中選手。今後、さらなる飛躍に期待したいと思う。

おすすめの記事

関連記事

プロ野球 試合経過・結果

セ・リーグ

パ・リーグ

{{league_title}}

  • 本日開催される試合はありません

B1 順位表

東地区
中地区
西地区
:Bリーグ チャンピオンシップ出場チーム
:B1 残留プレーオフ出場チーム
チーム勝率
{{club.Rank}}{{club.TeamNameS}}
{{club.WinningCount}}{{club.LosingCount}}{{trimFirstZero(club.WinningRate)}}{{getFormattedGameBehind(club)}}
:Bリーグ チャンピオンシップ出場チーム
:B1 残留プレーオフ出場チーム
チーム勝率
{{club.Rank}}{{club.TeamNameS}}
{{club.WinningCount}}{{club.LosingCount}}{{trimFirstZero(club.WinningRate)}}{{getFormattedGameBehind(club)}}
:Bリーグ チャンピオンシップ出場チーム
:B1 残留プレーオフ出場チーム
チーム勝率
{{club.Rank}}{{club.TeamNameS}}
{{club.WinningCount}}{{club.LosingCount}}{{trimFirstZero(club.WinningRate)}}{{getFormattedGameBehind(club)}}

プロ野球 OPS順位

セ・リーグ
パ・リーグ
 選手名・所属チームOPS 
{{index + 1}}{{item.raw.Name}}{{item.raw['ShortName-Team']}}{{item.metrics.ops.toFixed(3)}}{{item.metrics.ops.toFixed(3).substring(1)}}
 選手名・所属チームOPS 
{{index + 1}}{{item.raw.Name}}{{item.raw['ShortName-Team']}}{{item.metrics.ops.toFixed(3)}}{{item.metrics.ops.toFixed(3).substring(1)}}

人気記事ランキング

SPAIA スポーツコラム ライター募集中!