1976‐1983年「高橋一三」
広島の北川工業高校(現:県立府中東高校)から1965年に読売ジャイアンツに入団。早くも2年目から頭角を現し、ローテーションピッチャーの仲間入り。6年目の1969年には、22勝5敗で最多勝と沢村賞のタイトルを獲得。1973年にも23勝を記録し2度目の沢村賞を獲得するなど、巨人投手陣の主力として堀内とともにV9時代に活躍した。
1976年に張本勲との交換トレードで、富田勝とともに日本ハムファイターズに移籍。日ハムでの8年間は、怪我に苦しみながらも二度の2ケタ勝利。1983年に2000奪三振まであと3つと迫りながら引退した。
1985‐1995年「河野博文」
駒澤大学時代に、東都大学リーグで最優秀投手に輝き活躍。1980年にドラフト1位で日ハムに入団すると、1年目から一軍のローテーションに定着。2年目以降、苦しんだものの1988年には先発・リリーフ兼任で防御率2.38の好成績。パ・リーグの最優秀防御率を獲得した。
しかし、それ以後目立った活躍をすることなく、1995年にFAで巨人に移籍。引退後の現在はタマネギの栽培農家として農業を営んでいる。
1996‐2005年「岩本勉」
日ハムの18番といえば、この選手を思い浮かべる人が多いだろう。「ガンちゃん」の愛称でファンから親しまれた岩本勉選手だ。1989年に阪南大学高校からドラフト2位で日ハムに入団し、最初の4年間はプロの高い壁を越えられず、一軍での出番はほとんどなかった。
だが、1995年にローテーションに定着すると、防御率3.07の好成績を残し、翌年は開幕投手を務め2ケタ勝利を記録。以後引退するまで日ハムの主力投手として活躍。選手としてだけでなく、明るい性格と関西仕込みのトークで人気があり、現在は野球解説者と活躍している。
2008‐2009年「藤井秀悟」
愛媛の今治西高校時代には甲子園で活躍、早稲田大学でもベストナインに選ばれるなどして、1999年のドラフトでヤクルトスワローズに2位指名されプロの世界に。2年目に14勝し、怪我で苦しんだ時期があったものの、ヤクルトに在籍した2007年までは主力投手としてマウンドに立ち続けた。
2007年にトレードで日ハムに入団すると、背番号はヤクルト時代と同じ18が与えられエースとしての活躍が期待された。しかし、2008年は3勝、翌年は7勝と本来の力を発揮できず、実質的に戦力外となり巨人に移籍した。
2013年に現役を引退し、22015年からは巨人のバッティングピッチャーに。2019年に退団している。
2011‐2016年「斎藤佑樹」
早稲田実業時代「ハンカチ王子」として、現ヤンキースの田中将大率いる駒大苫小牧と甲子園の決勝で戦い、優勝。知らない人がいないほどの有名人になった斎藤佑樹。進学先の早稲田大学でも活躍し、2010年にドラフト1位で日ハムに入団。背番号は18が与えられた。
しかし、プロでの壁を越えることはできず、一軍と二軍を行き来する生活が続いている。2017年には背番号が18から1に変更。プロでもメディアからも注目され、ファンの人気も高いだけに、エースのピッチングが求められている。