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武田翔太は背番号のジンクスを覆せるか ホークスで「18」を背負った男たち

2019 3/19 15:00SPAIA編集部
背番号「18」
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プロ野球でエースナンバーと呼ばれる背番号「18」。どの球団も大きな期待をかけて託すのだが、現在武田翔太が背負う福岡ソフトバンクホークス(福岡ダイエーホークス)の背番号「18」にはある共通項があった。代表的な選手とともに紹介したい。

「山内トリオ」で売り出した山内和宏

福岡ソフトバンクホークスの前身、福岡ダイエーホークスの初代背番号「18」は山内和宏。さらにその前身であった南海ホークスに入団した1981年から、中日ドラゴンズへ移籍する1990年半ばまで約10年間の間、背番号「18」を背負っていた。

山内和宏は南海ホークス入団直後から、同姓投手の山内孝徳、山内新一と合わせて「山内トリオ」として売り出されるなど、球団からも大きな期待をかけられていた。入団3年目の1983年には18勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得するなど、低迷期のホークスの柱として活躍したが、選手人生の後半は利き腕の血行障害に悩まされ1990年のシーズン途中に中日に移籍、その後1993年に現役を引退した。

山内和宏ホークス在籍時の成績,ⒸSPAIA

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投球スタイルは直球を軸として変化球を織り交ぜる正統派。入団当初は力で押し込むタイプだったが、ボールを散らしながら緩急を使ったピッチングへと変化した。そのため、決してコントロールの悪い選手ではなかったが、投球数が増えボールも多かった。

「清原を力でねじ伏せた男」渡辺智男

1994年から福岡ダイエーホークスの背番号「18」を背負ったのは、西武ライオンズから移籍してきた渡辺智男(わたなべとみお)だ。渡辺智男といえば、高校3年生の春に甲子園であの清原和博選手から3三振を奪ったことで一躍有名人になった。

社会人野球のNTT四国を経て、西武ライオンズに入団した渡辺智男は、入団後の4年間で31勝を挙げ、渡辺久信投手、工藤公康(現ソフトバンク監督)とともに西武ライオンズ投手陣の中心として活躍した。

1993年にダイエーホークスの佐々木誠、村田勝喜、橋本武広との大型トレードの際に秋山幸二、内山智之とともに移籍。この時にそれまで村田がつけていた背番号「18」を継承した。この時のトレードは「世紀のトレード」と言われ当時の野球ファンの度肝を抜いた。

渡辺智男ホークス在籍時の成績,ⒸSPAIA

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しかし、1993年シーズンに渡辺の1軍登板はなく、この時点ですでにピークを過ぎていた。実際、ダイエーホークスへ移籍してからの4年間はわずか4勝。期待に応えたとはいえず、1998年にトレードで西武ライオンズへ戻り、その年いっぱいで現役を引退した。

ホークスの18番・悪循環を断ち切ろうとした松修康

1998年からは、前年のドラフト2位(逆指名)で東北福祉大学から入団した松修康(まつのぶやす)投手が背番号「18」となった。しかし、松は背番号「18」を2年間着けたが、入団3年目の2001年からは背番号を12番へと変更した。背番号を変更した理由のひとつに福岡ダイエーホークスで背番号「18」を背負った選手がいずれもトレードに出されていることがあるといわれている。

松修康ホークス在籍時の成績,ⒸSPAIA

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先に挙げた山内和宏、渡辺智男、村田勝喜以外にも、吉田豊彦投手が他球団へ移籍しており、それまでの福岡ダイエーホークスの背番号「18」は全員他球団へ移籍していた。松は背番号を変更した年にプロ初勝利を挙げ、その後の活躍も期待されたが、以降は1勝も挙げられず、2005年に現役を引退した。

剛速球でホークスの屋台骨を支えた新垣渚

松の引退から2年間空き番となっていたホークスの背番号「18」を受け継いだのは、九州共立大学から自由獲得枠で入団してきた新垣渚だった。高校時代の甲子園での活躍もあり非常に期待も大きかった新垣は、150km/h超の剛速球を武器にプロ入団後も順調に勝ち星を伸ばし、入団4年目の2006年には13勝を挙げ、斉藤和巳、和田毅とともにホークス投手陣を支えた。

新垣渚ホークス在籍時の成績,ⒸSPAIA

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しかしその後は制球難に苦しみ、成績も伸び悩んだことから、2014年のシーズン途中に東京ヤクルトスワローズへと移籍している。松の背番号変更で途切れた「ホークスの背番号『18』は他球団へ移籍する」というジンクスが新垣の移籍により再度復活してしまった。

帰ってきた怪物・松坂大輔

2015年にメジャーリーグから日本プロ野球へ復帰した松坂大輔に福岡ソフトバンクホークスが用意した背番号は西武ライオンズに入団した時からなじみのある「18」だった。

松坂は横浜高校時代にセンバツ優勝に貢献し、夏の甲子園では準々決勝で延長17回を完投した上に、決勝戦ではノーヒットノーランを達成。150km/hを超える超高校級のピッチングで全高校球児の頂点に立ち「平成の怪物」と呼ばれた。西武ライオンズ入団後は日米で輝かしい記録を築き日本を代表する投手となった。しかし、2009年に股関節を痛めてしまい、さらには肩の調子まで悪くしてしまう。その後もケガを繰り返しながらも登板を続けメジャーリーグ最終年の2014年は3勝3敗、防御率3.89で終えている。

フリーエージェントとなった松坂にラブコールを送り3年契約12億円プラス出来高の大型契約で獲得したのがソフトバンク。再び日本で「平成の怪物」を拝めるとソフトバンク以外の多くの野球ファンも沸いた。メジャーリーグ最終年の成績から、日本でも通用するかに思われたが、既にそこに怪物の面影はなく、2015年から2017年の間で1軍登板は結局1度だけ、契約期間終了後2018年に中日へと移籍した。

2019年の背番号「18」は武田翔太

現在、ソフトバンクホークスの背番号「18」は、武田翔太が継承している。他球団同様に活躍が期待される選手に与えられてきた番号だが、結果として福岡ダイエーホークス時代以来、途中で背番号を「18」から変えた松以外全員が移籍、残った松もけっしていい結果で終わったとは言えない。

武田は高卒1年目に8勝を挙げ、2015年には自己最多の13勝を記録。早くから高いポテンシャルを見せていたが、2017年は故障に苦しんだ。背番号「18」を背負った2018シーズンは不調に苦しみ、先発した勝ち試合3つ全てで完封してリーグ最多に並んだものの、4勝9敗1セーブ、防御率4.48と成績は振るわなかった。一方で日本シリーズでは好投を見せチームの連覇に貢献した。

武田翔太ホークス在籍時の成績,ⒸSPAIA

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2019年は練習試合とオープン戦初戦で炎上してしまったが、2戦目では3回を投げ7奪三振、1安打無失点。開幕ローテ入りが濃厚となっている。常勝軍団にありながら大きな期待をされながらも不遇な結果に終わるというホークスの背番号「18」。武田はジンクスを跳ね返せるのか、背番号「18」の2年目に注目したい。

※2020年10月8日。松修康選手のドラフト前の所属に誤りがあるとのご指摘を受け修正いたしました。誤った情報を配信してしまい誠に申し訳ございません。

前年のドラフト2位(逆指名)でJR九州から入団した松修康(まつのぶやす)投手

前年のドラフト2位(逆指名)で東北福祉大学から入団した松修康(まつのぶやす)投手

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