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山口高志が阪急入りした1974年ドラフトの答え合わせ、一番出世は?

2022 10/1 06:00SPAIA編集部
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中日が巨人のV10阻止、日本シリーズはロッテが制した1974年

夏の甲子園で銚子商(千葉)が優勝した1974年。プロ野球では、巨人の10連覇を阻止した中日がリーグ優勝し、日本シリーズは金田正一監督率いるロッテが4勝2敗で日本一に輝いた。

同年のドラフト会議は日本シリーズ終了後の11月19日に開催された。当時は予備抽選で指名順を決定し、奇数順位は予備抽選の1番から12番へ、逆に偶数順位は12番から指名していく変則ウェーバー方式。現在のように重複すれば抽選というルールではないため、予備抽選による運、不運が大きかった。

予備抽選の結果は近鉄―阪急―中日―巨人―大洋―ロッテ―阪神―ヤクルト―南海―日本ハム―太平洋―広島に決まった。

1974年ドラフト1巡目指名選手の成績


各球団1巡目指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。

中日は甲子園優勝投手の土屋正勝、巨人は鹿児島実の定岡正二

近鉄は松下電器の福井保夫を1位指名した。同年ドラフトの目玉は松下電器のチームメイト山口高志だったが、1番くじを引いた近鉄は福井を指名。1年目にプロ初勝利を挙げたものの大成せず、通算2勝3敗1セーブの成績を残して、広島に移籍した1984年にユニフォームを脱いだ。

阪急はその山口高志を指名した。関西大時代に関西六大学リーグ通算46勝を挙げて「村山実二世」と呼ばれ、ヤクルトの4位指名を拒否して松下電器に入社。都市対抗などで大活躍した剛腕は、1年目から12勝を挙げて新人王に輝き、日本シリーズではMVPに選ばれた。その後も持ち前の剛速球で4年連続2桁勝利を挙げるなど通算50勝44セーブをマーク。引退後は阪急、オリックス、阪神でコーチを務め、藤川球児らを育てた。

中日は同年夏の甲子園で優勝した銚子商のエース土屋正勝を指名。プロ入り後は故障に苦しみ、1984年に入沢淳との交換トレードでロッテに移籍したが、1986年に引退した。240試合登板で8勝22敗4セーブの成績を残している。

巨人は鹿児島実の定岡正二を指名した。夏の甲子園準々決勝で原辰徳を擁する東海大相模と延長15回の死闘の末に勝利し、人気と評価を高めた右腕。プロ入り後は1982年に15勝を挙げるなど主に先発として活躍し、通算51勝42敗3セーブの成績を残した。

阪神1位の古賀正明は入団拒否、ヤクルトは「高校四天王」永川英植

大洋は日本石油の右腕・根本隆を指名した。2年目には34試合に登板して3勝を挙げたが、1978年オフに基満男との交換トレードで鵜沢達雄とともに西武に移籍。通算7勝14敗2セーブの成績を残して1984年に引退した。

ロッテは育英高の左腕・菊村徳用を指名。甲子園出場はないものの快速球に期待は高かったが、西武、近鉄とわたり歩き一軍での登板は果たせなかった。

阪神は丸善石油の右腕・古賀正明を指名。しかし、入団を拒否した古賀は翌1975年に太平洋クラブから再び1位指名されてプロ入りした。9年間の現役生活で通算38勝を挙げた。

ヤクルトは1973年春のセンバツで優勝した横浜高の右腕・永川英植を指名。当時は鹿児島実・定岡正二(巨人1位)、銚子商・土屋正勝(中日1位)、土浦日大・工藤一彦(阪神2位)とともに「高校四天王」と呼ばれたが、プロではわずか1試合に登板したのみだった。

南海は長谷川勉、日本ハムは菅野光夫

南海は日産自動車の右腕・長谷川勉を指名した。1年目のオフに阪神・江夏豊、望月充との2対4の交換トレードで江本孟紀、島野育夫、池内豊とともに阪神へ移籍。1980年に引退するまで7勝19敗1セーブの成績を残した。

日本ハムは三菱自動車川崎の内野手・菅野光夫を1位指名。1981年には116試合に出場して優勝に貢献するなど守備の名手として活躍した。通算1009試合に出場して打率.222、389安打、21本塁打の成績を残した。

太平洋は日本鋼管福山の右腕・田村忠義を指名したが入団拒否。翌1975年もヤクルトから2位指名を受けたが拒否した。アマチュアで現役を引退後は、環太平洋大や母校・広陵高で監督を務めた。

広島は鹿児島商の堂園喜義を指名。同年春のセンバツに出場し、夏は鹿児島大会決勝で定岡正二を擁する鹿児島実に敗れた右腕は、プロ入り後、一軍出場のないまま1980年にユニフォームを脱いだ。

2位以下では、三菱自動車川崎・村田辰美(近鉄2位)、福岡第一高・角富士夫(ヤクルト2位)、城西高・高橋慶彦(広島3位)らがプロ入り。山口、定岡の本格派右腕2人が目立ったドラフトだった。

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