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篠塚利夫が巨人入りした1975年ドラフトの答え合わせ、一番出世は?

2022 9/30 06:00SPAIA編集部
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広島が初のリーグ優勝、日本シリーズは阪急が制した1975年

夏の甲子園で習志野(千葉)が優勝した1975年。プロ野球では、広島が山本浩二、衣笠祥雄らの活躍でセ・リーグ初優勝を飾り、日本シリーズは上田利治監督率いる阪急が4勝2分けで日本一に輝いた。

同年のドラフト会議は日本シリーズ終了後の11月18日に開催された。当時は予備抽選で指名順を決定し、奇数順位は予備抽選の1番から12番へ、逆に偶数順位は12番から指名していく変則ウェーバー方式。現在のように重複すれば抽選というルールではないため、予備抽選による運、不運が大きかった。

予備抽選の結果はロッテ―阪神―大洋―日本ハム―近鉄―ヤクルト―巨人―阪急―中日―広島―南海―太平洋に決まった。

1975年ドラフト1巡目指名選手の成績


各球団1巡目指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。

ロッテは三菱重工三原の田中由郎、大洋は東都39勝の田村政雄

ロッテは三菱重工三原のサブマリン・田中由郎を1位指名。2年目に2勝を挙げたが、1977年オフに奥江英幸、渡辺秀武との交換トレードで大洋に移籍し、1992年に引退するまで通算12勝24敗5セーブの成績を残した。

阪神は大分鉄道管理局の左腕・足立義男を指名したが、入団拒否。その後も足立は社会人でプレーを続け、プロ入りはしなかった。

大洋は東都リーグ通算39勝をマークした中央大のアンダースロー、田村政雄を指名した。1978年オフに佐藤道郎との交換トレードで、伊藤勲とともに南海に移籍。1981年に引退するまで通算9勝16敗4セーブの成績を残した。息子の田村領平は2002年ドラフト8位で阪神に入団した。

日本ハムは丹羽鉦電機の右腕・福島秀喜を指名。博多商時代の1973年ドラフトで中日の4位指名を拒否し、2年後にプロ入りを果たしたが、一軍出場のないままユニフォームを脱いだ。

ヤクルトは高知高・杉村繁、住友一哉は阪急1位指名を拒否

近鉄は東海大二高(現東海大熊本星翔高)の中野英明を指名した。「鈴木啓示二世」と称された左腕への期待は高かったが、一軍出場を果たせないまま引退した。

ヤクルトは高知高の杉村繁を1位指名した。小柄ながらスラッガーとして活躍し、同年春のセンバツでは原辰徳を擁する東海大相模を破って優勝。プロ入り後は通算449試合に出場し、147安打、打率.228の成績を残した。引退後はヤクルトや横浜でコーチを務め、山田哲人らを育てた。

巨人は銚子商の篠塚利夫を指名。2年生時から4番を打ち、1974年夏の甲子園で優勝したが、3年夏は千葉大会で、その後全国制覇する習志野に敗れた。プロ入り後は天才的な打撃センスで2度の首位打者を獲得。通算打率.304、1696安打、92本塁打、628打点をマークした。

阪急は鳴門高の右腕・住友一哉を指名したが入団拒否。法政大へ進学した住友はプリンスホテルを経て、1981年ドラフト6位で近鉄に入団した。通算18勝11敗17セーブの成績を残し、引退後は近鉄とオリックスでコーチを務めた。

中日は田尾安志、広島は北別府学

中日は同志社大の田尾安志を指名した。プロ入り後は左の巧打者として活躍し、当時はタイトルではなかったが1982年から3年連続最多安打をマークした。西武、阪神とわたり歩いて通算1560安打、149本塁打。引退後は楽天の初代監督を務めた。

リーグ優勝した広島は都城農高の右腕・北別府学を指名。甲子園に出場していなかったため中央球界では無名だったが、プロ入り後すぐに頭角を現し、最多勝2回、最優秀防御率1回、最高勝率3回のタイトルを獲得するなど、広島のエースとして活躍した。通算成績は213勝141敗5セーブだった。

南海は関西六大学リーグ通算39勝の近畿大・森口益光を指名した。1978年から2年連続9勝を挙げたものの徐々に出番は減少し、中日移籍後の1988年に引退。通算222試合登板、27勝58敗1セーブの成績を残している。

太平洋は丸善石油の右腕・古賀正明を指名。前年に阪神から1位指名されて入団拒否しており、2年越しのプロ入りだった。1年目に11勝を挙げ、1979年に山崎裕之、成重春生との交換トレードで倉持明とともにロッテに移籍すると、1980年、1981年と3年連続でトレード移籍。1984年の引退まで38勝54敗8セーブの成績を残した。

2位以下では三菱重工三原・簑田浩二(阪急2位)、初芝高・立石充男(南海3位)、桐蔭学園高・長内孝(広島3位)、駒澤大・中畑清(巨人3位)らがプロ入りしている。1位の中では篠塚と田尾の野手2人と北別府が飛び抜けた実績を残すドラフトだった。

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