入団3年目の期待の若手 松井祐樹
楽天の現クローザーといえば、やはり松井祐樹だ。桐光学園時代から注目され、2年時の夏の甲子園では1試合22奪三振という記録を打ち立てた(それまでは1試合19奪三振が最多)。そして5球団競合の末に楽天へ入団し、1年目から先発として起用される。
しかしプロ入り後は奪三振こそ多かったものの、制球に苦しんだ。116イニングを投げ、イニング以上の126を三振を奪いながら、与えた四球は67。2イニングに1つ以上の四球を出すのは投手として致命的だ。結局17試合に先発したものの、合計4勝(うち中継ぎでの勝利が1つ)。課題を残したまま次のシーズンへと向かう。
たった2年で球界を代表するクローザーに
松井の2年目のシーズンは、広島からミコライオが移籍してきたため、セットアッパーとしての活躍が期待されていた。しかし開幕直前にミコライオがヘルニアを発症し、復帰に時間がかかることが判明すると、急遽クローザーに抜擢されるのだ。
苦肉のクローザー指名だったものの、いざシーズンが開幕すると高い適性を見せた。3月28日の初登板から5月16日までの1か月半、13試合連続の無失点という最高のスタートを切ると、その後も安定感を見せ最終的には63試合33セーブ防御率0.87と大活躍!課題だったコントロールもかなり改善され、11月のプレミア12のメンバーにも選出されるほどの成長を見せた。
今年は序盤こそ打ちこまれるシーンも見られたが、後半には安定感を取り戻し、2年連続の30セーブを達成。これは球団史上初の快挙だ。今後もチームが浮上していくには、彼の活躍が欠かせないだろう。
チームの初代クローザー 福盛和男
続いて紹介するのは楽天の初代クローザーを務めた福森和男だ。プロ入り時は横浜ベイスターズだったが、04年に近鉄バファローズにトレードで移籍すると、その後の分配ドラフトで楽天へ入団とする。
楽天では初年度から49試合に出場して10セーブを挙げると、06年には50試合で21セーブ、07年はケガで後半戦を棒に振ってしまうが、それまでは34試合で17セーブと安定した投球を見せていた。08年はFA権を行使し、かねてからの夢であったメジャーリーグへ挑戦。しかし4試合に投げただけで降格となり、09年に楽天へと出戻りしてきた。
だが、復帰してからのピッチングは素晴らしいものだ。6月後半からの復帰だったが、35試合に登板して10セーブ防御率は2.18。チームも2位となり初のクライマックスシリーズ出場に大きく貢献した。
常に半袖!ブルペンの大黒柱 小山伸一郎
4人目は小山伸一郎を紹介する。楽天ファンの間では「半袖魔人」と呼ばれていることでもおなじみだ。開幕直後の仙台はかなりの寒さになるのだが、そんな中でも彼はずっと半袖で試合に出場しており、いつしかこうよばれるようになった。楽天の公式ホームページでもこの愛称が使われるほどだ。
プロ入り当初は中日だったのだが、2軍で好投しても1軍に上がる機会に恵まれないことが多く、05年に無償トレードで楽天へと入団してくる。1年目から中継ぎとして30試合に登板。福盛がケガで戦線離脱した07年には代役を務め、16セーブを記録した。09年は再び福盛にクローザーを譲るが、10年には10セーブを挙げる活躍を見せる。08年から12年まで5シーズン連続で50試合以上に登板。球団創設当時から在籍していたこともあり、選手・首脳陣を問わず楽天ブルペン陣では最も信頼されていた人物だ。
15年シーズンで引退となったが、16年からは投手コーチを務めている。
安定感は投手陣ピカイチ! 青山浩二
最後に紹介するのは青山浩二、彼も小山と同じく楽天ブルペン陣を長年支え続けている選手だ。06年に楽天へ入団すると、主に中継ぎとして42試合に登板。翌年には先発も務め、4勝を上げる。本格的にクローザーに就任するのは12年のこと。クローザーとして構想されていたラズナーがケガをしたことにより、青山が抜擢された。10年に41試合で防御率1.71、11年にも51試合で防御率2.79と、セットアッパーとして抜群の安定感を見せ始めていた青山だが、クローザーに抜擢後も変わらぬ投球を見せる。
結局この年は60試合に登板して22セーブ防御率2.51の活躍、翌13年にも60試合で11セーブを上げた。以降は松井祐樹の台頭もあり、再びセットアッパーとして楽天ブルペン陣を支えている。
まとめ
最近の楽天はなかなか苦しいチーム事情が続くが、それでもクローザーの松井祐樹は安定した成績を残している。先発・中継ぎと投手は足りていないが、クローザーがしっかりしている分、安心できる。