現ホークス不動のクローザー デニス・サファテ
デニス・サファテは、ホークスのクローザーとして14年シーズンから活躍している選手だ。今年も43セーブを上げ、自身がもつパリーグ記録を更新。7敗を喫するなど苦しい場面も見受けられたが、14、15年シーズンのホークス2連覇にも貢献しており、やはり今のホークスには彼以外のクローザーは考えられない。
11年シーズンにカープに入団し、いきなり35セーブを挙げる活躍を見せると、その後はライオンズ→ホークスと渡り歩き今年で6シーズン目を終えた。重ねたセーブ数は175、これはNPB歴代9位の記録だ。外国人選手の通算セーブ記録はマーク・クルーン(横浜→巨人)が持つ177セーブなのだが、来シーズンには間違いなく更新してくれることだろう。外国人選手歴代1位、そして外国人選手初の200セーブも見えている。
ケガに泣いた名クローザー 馬原浩二
続いて紹介するのは馬原孝浩、00年代後半にチームのクローザーを務めていた選手だ。05年シーズン途中から不調の三瀬幸司に代わりクローザーに抜擢。6月4日に初セーブを記録すると、そこからシーズン終了までクローザーを務め22セーブを記録した。
そしてこれ以降6シーズンにわたり、チーム不動の守護神として君臨し続ける。
しかし11年から状況が一転。開幕から調子が悪かったのだが、7月に右肩関節の筋挫傷が判明し登録抹消となる。9月に1度復帰するものの、翌年の2月には右肩にメスを入れるほどの状態だった。結局12年シーズンは1度も登板することなく、さらにオフには人的保証でオリックスへと移籍してしまう。
新天地では14年シーズンこそ32ホールドを記録したものの、やはり右肩の状態が思わしくないのか翌年に引退。歴代7位の182セーブを記録した名クローザー、しかもまだ34歳と若かったのだが、ケガに泣かされて早すぎる引退となってしまった。
低迷していたチームの救世主! ロドニー・ペドラザ
ロドニー・ペドラザは、ダイエー時代の99年?01年に抑えとして活躍し、通算117セーブを記録した選手だ。昔からのファンの方ならご存じかと思うが、当時このチームは南海ホークス時代の78年から20年連続Bクラスという不名誉な記録を持っていた。しかし98年にようやくAクラス(3位)に上がってくると、翌99年には悲願の日本一を達成。そしてその時の原動力となったのがこのペドラザだ。
当初は先発での起用が予定されていたのだが、前年まで抑えを務めていた岡本克道が故障により離脱すると、尾花高夫コーチに適性を見出されクローザーに就任。するといきなり27セーブを上げ、日本一に貢献した。00年には35セーブ、01年には34セーブで上げ2年連続の最優秀救援投手を獲得。特に00年は2連覇を達成し、ペドラザの名も多くのホークスファンの心に刻まれたことだろう。
日本で最初の専任クローザー 江夏豊
最後に紹介するのは江夏豊だ。江夏というと60?70年代にかけての阪神のエース、クローザーとして活躍したのも広島という印象が強いかもしれない。しかし彼こそが、このホークスというチームで、このプロ野球界に革命を起こした、名クローザーなのだ。
江夏がチームへやってきたのは1976年のこと。阪神で長年エースとしてならしてきたものの、当時は血行障害が悪化しており、長いイニングを投げるのが難しいという状況だった。そこで選手兼任監督だったノムさんこと野村克也に、クローザーとしての起用を命じられる。まだリリーフ投手の地位が低かった時代、江夏も最初は渋ったのだが、野村監督の「野球界に『革命』を起こそう」という言葉に感銘を受け(後に江夏は『革命』という言葉がなかったら引き受けなかったと語っている)、以降専任クローザーとして活躍する。
球界の常識を変えた江夏の存在
ホークス2年目となる77年シーズンには19セーブを上げ、この年から表彰が始まった最優秀救援投手のタイトルを獲得。ホークスではこの年限りだったのだが、その後も広島→日ハム→西武と渡り歩き、通算193セーブを記録し。広島時代の79年から日ハム時代の82年まで、リーグをまたいで4年連続の最優秀救援投手に輝く。
クローザーというポジションがここまで注目を集めるようになったのは、まちがいなく彼のおかげだろう。まさにパイオニア的存在だ。今でこそ当たり前になっている投手分業制だが、そのシステムは野村克也と江夏豊の2人で作り上げられたのだ。
まとめ
つい最近の選手から少し懐かしさを感じさせるような選手まで、4人を紹介してきた。全員が100セーブ以上を上げた名クローザーだ。やはり強いチームには、盤石のクローザーがいるということだ。