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横浜DeNAベイスターズの歴代外国人選手を振り返る!

2016 12/2 01:42
野球
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出典Nor Gal/Shutterstock.com

横浜DeNAベイスターズが2016年シーズンに悲願のクライマックスシリーズ初出場を果たした。外国人助っ人であるホセ・ロペスの活躍が原動力の一つとなっていることは間違いない。その横浜DeNAベイスターズの前身球団も含めた外国人選手を振り返ってみたいと思う。

3割30本100打点を達成!レオン・リー

レロン・リーと共にアメリカからやって来たリー兄弟の弟であるレオン・リーはロッテオリオンズで5年間プレーした後に交換トレードで1983年に大洋ホエールズに移籍してきた。セ・リーグに移籍しても打棒は健在で低迷期のチームを主力として支えた。大洋ホエールズ2年目の1984年にはタイトル獲得こそなかったが3割30本100打点を記録している。
しかし、1985年のオフに突然の自由契約となりヤクルトスワローズへと移籍してしまう。チャンスに弱いことが自由契約の理由とされているが真相は不明だ。

マリオでお馴染みカルロス・ポンセ

大洋ホエールズ後期にあたる1986年から1990年までプレーしトレードマークのひげがスーパーマリオブラザーズのマリオに似ていたことから”マリオ”の愛称で親しまれていた。ポンセは来日初年度から打率.322、27本と主軸の活躍を見せ2年目には打率.323、35本、98打点で打点王を獲得する。
3年目の1988年は打率3割を切ってしまうが33本、102打点で二冠王に輝く。1989年から成績が下降線をたどり1990年に退団する。現役引退後はメジャーリーグのスカウトなどを務めていた。

4年連続3割を記録!ジム・パチョレック

カルロス・ポンセが健在の1988年に大洋ホエールズへ新外国人としてやってきたのがジム・パチョレックだった。ジム・パチョレックはカルロス・ポンセの後ろである5番を打つことが多くカルロス・ポンセをアシストしてきた。相手投手はジム・パチョレックが後ろにいることでカルロス・ポンセと勝負せざるを得なかったのだ。大洋ホエールズでには4年間在籍し毎年3割以上を記録。3年目には打率.326で首位打者を獲得している。1991年オフに大洋ホエールズを退団し同じセ・リーグの阪神タイガースへと移籍した。

史上最強助っ人ロバート・ローズ

大洋ホエールズから横浜ベイスターズ、そして横浜DeNAベイスターズと続く系譜の中で最強の助っ人外国人はロバート・ローズで異論はないだろう。1993年に来日すると打率.325、19本、94打点の成績で見事に打点王を獲得する。しかも、ポジションは一塁ではなく2塁というセンターラインだったのだ。
その後もロバート・ローズは活躍を続け1998年の優勝にも貢献。翌1999年には三冠王獲得まで目前と迫る二冠王(首位打者、打点王)を獲得する。2000年までプレーを続け現役を引退し2002年オフに千葉ロッテマリーンズと契約をするがオープン戦で帰国してしまい現役復帰とはならなかった。

160キロ投手マーク・クルーン

2005年に横浜ベイスターズへ入団したマーク・クルーンは大魔神・佐々木主浩の後を受けクローザーに定着する。初年度は55試合に登板し26セーブを挙げる活躍を見せ守護神として役割を果たした。以降、3年間に渡りマーク・クルーンは横浜ベイスターズの守護神として活躍するが契約金の高騰から退団し読売ジャイアンツへと移籍してしまう。
マーク・クルーンは160キロを超えるストレートが売りで2005年7月に当時の新記録である161キロをマークした。また、巨人に移籍後の2008年には162キロを投げ当時の最高球速を更新している。

まとめ

大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズと続く歴史の中で、投手の助っ人外国人はあまり活躍しておらず、今回紹介したマーク・クルーン以外には目立った成績を残していない。今後は横浜DeNAベイスターズの外国人投手の活躍にも期待しよう。