高校時代から知名度抜群
千葉県出身の涌井秀章投手は、高校生になると地元から離れて野球の名門である横浜高校に入学した。2年生で主戦投手にまで成長した涌井投手は、3年生になるとレベルの高い球種を操る超高校級選手として高い評価を受けるようになったのだ。
横浜高校ということもあり、同校の先輩でもある松坂大輔投手にあやかって「松坂2世」とも称された涌井投手は、松坂投手と同様に西武ライオンズにドラフト1位指名を受けて入団することになった。
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移籍前は苦しんでいた、現在千葉ロッテマリーンズを支えているエース涌井秀章投手。若きエースとして活躍してきた彼は、どのようにして復活したのだろうか。
千葉県出身の涌井秀章投手は、高校生になると地元から離れて野球の名門である横浜高校に入学した。2年生で主戦投手にまで成長した涌井投手は、3年生になるとレベルの高い球種を操る超高校級選手として高い評価を受けるようになったのだ。
横浜高校ということもあり、同校の先輩でもある松坂大輔投手にあやかって「松坂2世」とも称された涌井投手は、松坂投手と同様に西武ライオンズにドラフト1位指名を受けて入団することになった。
西武ライオンズに入団した涌井投手は、その将来性を評価されて1年目から1軍で先発することもあった。
当時はプロ1年目ということもあり、壁にぶつかって思うような結果を残せなかったが、2年目には12勝を挙げて早くも主戦投手に成長すると、3年目には17勝を挙げて最多勝のタイトルを獲得したのだ。
若干21歳で球界を代表する投手に成長した涌井投手は、名実ともに西武ライオンズを象徴する投手となった。
2009年には投手最大の栄誉である沢村賞を獲得し相変わらずエースとして活躍した涌井投手だったが、2011年に導入された統一球の影響により投球の感覚を狂わせ不振に苦しむようになる。
中継ぎでは結果を残していたこともあり、ライオンズは涌井投手を抑えピッチャーとして起用しようと考えた。だが、先発にこだわる涌井投手は、2013年にFA権を取得すると千葉ロッテマリーンズに移籍して先発投手としての道を探った。
ロッテで先発起用を約束された涌井投手は、後輩や周りにもアドバイスをし、前向きな姿勢を前面に出していくなどリーダーシップを発揮するようになった。涌井投手は、2015年のシーズンに久々の2ケタ勝利どころか最多勝を獲得するなど、華麗な復活を果たすことになった。
かつてのキレのある直球と変化球を取り戻し、涼しい顔で長いイニングを投げていた若きエース時代と変わらぬ投球に加え、成績以外でも周囲を引っ張る姿をロッテで披露することになったのだ。
2016年のシーズンも開幕戦で大谷翔平投手に投げ勝つなど好調をキープしている涌井投手。
着実に存在感を築き上げているといえるだろう。
今後の千葉ロッテマリーンズが福岡ソフトバンクホークスや北海道日本ハムファイターズを追っていくには、彼の存在が大きなものになってくると思われる。涌井投手のさらなる活躍に期待していきたいところだ。
不振を乗り越え、チームでも確実な存在感を表している涌井投手。2球団でエースピッチャーになるということも、プロ野球選手の中では非常に珍しいことであると言える。