「遊撃手の長距離砲」宇野勝
1985年シーズンには遊撃手として歴代最多となる本塁打41本を記録し、その前年には本塁打王のタイトルを獲得するなど遊撃手でありながら長距離砲として活躍した選手だ。
一般的に遊撃手は、守備の負担が大きく守備力を重要視されていたが、その常識を覆したのが宇野勝であり、「ヘディング事件」や「追い越しプレー」など珍プレーが多い選手でもあった。通算本塁打は338本を記録しており(うち4本はロッテ在籍時のもの)、中日ドラゴンズ歴代1位となっている。また、これは歴代遊撃手の中でも1位の記録だ。
引退後は、プロ野球解説者や評論家として活動している。
「熱血漢」大島康徳
熱血漢という呼び名は、監督時代に闘志溢れる姿勢が見られたことに由来するようだ。熱くなりすぎて時には退場してしまうこともあった。
高校時代まで野球経験がなく、所属していたバレーボール部では県の選抜に選ばれるほどの実力の持ち主だった。荒削りで好不調の波が激しいバッティングが特徴だったが、1983年にはシーズン36本塁打を記録し、本塁打王のタイトルを獲得している。中日ドラゴンズでは歴代2位となる321本、移籍した日本ハムでは61本を放ち通算で382本塁打を記録した。
引退後は、日本ハムの監督などを務めている。
「神主打法」落合博満
落合博満は、現役時代に4球団を渡り歩いた。ロッテに8年、中日には7年だったが、輝かしい実績を残してきたのでぜひここで紹介したいと思う。
神主打法は、その名の通り神主がお祓いをする仕草に似ていることから名付けられた。しかし落合の打法は、その中でもより独特な形をしていた。さまざまな紆余曲折を経てのプロ入りデビューは、当時ではかなり遅い25歳だった。
1987年、2年連続三冠王という実績を引っさげて中日ドラゴンズに入団し、1990年には両リーグ本塁打王という快挙を成し遂げる。中日ドラゴンズでは歴代8位の210本塁打だったが、現役時代通算では歴代6位となる510本塁打を記録している。
引退後は中日ドラゴンズの監督を務め、4度のリーグ優勝と1度もBクラスにならないという成績から名将とも呼ばれた。現在は中日ドラゴンズのGMに就いている。
まとめ
歴代の記録を見てみると、宇野勝のように遊撃手でありながら長距離打者だった選手など、かなり個性が際立って見える。
こうして過去の記録を見返し現役選手の記録と見比べると、また違った観点でプロ野球の奥深さのようなものを味わうことができる。
ぜひ一度、記録を見比べてみてはいかがだろうか。