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野球の神様が与えた試練?難病を乗り越えた選手たち

2016 11/15 19:42
野球
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

厳しいトレーニングを行って鍛えているアスリートといえども、人である以上、運悪く難病に襲われることがある。現役の選手として活躍しているときに病に侵され、選手生命も危ぶまれる中で不死鳥のように復活を遂げた選手がいる。病気に屈することなく活躍し続ける現役プロ野球選手たちを紹介する。

難病から復帰しMVP?安達了一(オリックス・バファローズ)

2016年1月、オリックス・バファローズのファンに衝撃が走った。守備の要である遊撃手の安達了一選手が、厚生労働省指定の難病である「潰瘍性大腸炎」で緊急入院してしまったのだ。開幕は2軍で迎え、1軍初昇格は4月半ば。満足にキャンプも行えず、不安が残ったままのシーズンインとなってしまう。
しかし安達選手は、難病発覚から約2ヶ月半で驚異的な回復をみせる。シーズン序盤の4月に1軍復帰したとはいえ、まだまだ完治したとは言い難い状態。そんな中、体調を考慮しながらも試合に出場を続けた安達選手は、見事に7月の月間MVPに輝いたのだった。

「色々な方に支えられて野球ができているんだと改めて感謝しています」

出典: オリックス・バファローズ OFFICIAL WEB SITE

笑顔で語る安達選手。選手生命すら危ぶまれた状態から、復帰を果たした彼のシーズンはまだまだこれから。原因不明の病気に立ち向かう闘志と病気に屈しないその後の活躍は、私達に大きな勇気を与えてくれた。

球界初、難病を克服した救世主?大隣憲司(福岡ソフトバンクホークス)

2006年の大学生・社会人ドラフトで最大の目玉となった投手がいた。それが福岡ソフトバンクホークスに入団した大隣憲司投手だ。
大隣投手は、2013年4月に国指定の難病「黄色じん帯骨化症」であることが発覚。過去に同じ病気を患い、余儀なく引退した選手も多い重い病気だった。不安を抱えながら手術に挑んだ大隣投手だが、夫人の献身的な支えもあり、翌年2014年に驚異的な回復力で復活を果たす。
復帰後は、負けると優勝を逃すシーズン最終戦や、絶対に負けられないポストシーズンの戦いに登板。どの試合でも勝利を収める神がかりな活躍を見せた。そして2014年、ホークスは日本一の栄冠を手にした。

「勇気を与えるような投球をするのが自分の役目」

出典: スポニチAnnex

この病気から復帰して白星を挙げたのは大隣投手が初めてだった。 2014年にホークスが成しえたシーズンの頂点も、彼の活躍がなければたどり着けなかったかもしれない。

同じ難病を抱える子供たちに勇気を?岩田稔(阪神タイガース)

関西の人気球団・阪神タイガースに所属する岩田稔投手。
彼は高校2年生の冬、風邪をひいた際のウイルス感染が原因で「1型糖尿病」を発症してしまう。「1型糖尿病」は難病指定はされていないものの、"不治の病"と呼ばれるほどの重い病気だった。 高校卒業後に決まりかけていた社会人チームへの入団は、病気を理由に白紙に。推薦で関西大学に進学したが、待っていたのは故障に悩まされる日々……。 しかし最速151km/hの速球や、多彩な変化球を操る投球スタイルを評価され、2005年に阪神タイガースからの指名でプロ入りを果たす。

「夢を諦めずに頑張っていけば、できないことはない」

出典: あなたの健康百科

プロ入り後もインスリン注射を打ちながら試合に挑み続ける岩田投手。現在も同じ病気を患う子どもたちへの支援活動を積極的に行いながら、マウンドに立ち続けている。

まとめ

難病に蝕まれながらも前を向き、見事復活を遂げ活躍するプロ野球選手たち。競争の激しいプロ野球界で生き延びていくのは、健康な身体をもっても至難の技のところ、病気を抱えてのプロ野球選手生活は、並大抵のことではないはず。<
襲いかかる試練に挫けず這い上がっていく彼らの姿は、同じ難病を抱える人々だけでなく、さまざまなハンデを抱える人々に勇気を与えることだろう。