”サンデー兆治”村田兆治
”サンデー兆治”こと村田兆治は、まず外せないだろう。マサカリ投法から繰り出されるフォークボールで三振の山を築き、最多奪三振を4度記録している。
1983年には、ヒジの故障で現在では当たり間のようになっているトミージョン手術を受けた。リハビリ期間を経て1985年に本格復帰。故障箇所への影響を考慮して、当時としては珍しい中6日の登板が続くが、それが日曜日だったこともあり”サンデー兆治”と呼ばれるようになったのだ。
通算215勝を挙げて名球会に入っているが、成績よりも故障からの復帰を取り上げられることが多い記憶の人と言えるだろう。現在は66歳だが、始球式で130キロを超える投球を見せるなどまだまだ元気だ。来年は村田兆治の始球式にも注目してみてはいかがだろうか。
完全試合男!”八木沢荘六”
甲子園優勝投手の実績を持ち、早稲田大学で3度優勝して鳴り物入りで入団してきた八木沢荘六も名ピッチャーと呼べるだろう。
中継ぎとしての起用が多く、勝利数や奪三振数で目立った成績を残しているわけではない。タイトルは1973年の最高勝率ただ1つだが、この最高勝率を取るためには規定投球回への到達が必要だった。中継ぎ登板の多い八木沢荘六は、規定投球回に達していなかったため、10月に入ってから先発登板。その登板でなんとプロ野球史上13人目の完全試合を達成する。この登板で規定投球回にも届き、最高勝率のタイトルも獲得したのだ。
その後、先発、中継ぎとチーム事情により役割は変わるが、13年間にわたり活躍した。引退後は千葉ロッテマリーンズの監督も務めている。
”魂のエース”黒木知宏
闘志を前面に押し出す投球スタイルで”魂のエース”と呼ばれた黒木知宏も名ピッチャーだ。あだ名は”ジョニー”だったので、”ジョニー”の方がピンとくる方が多いかもしれない。
黒木知宏といえば、やはり1998年のオリックス戦が有名だろうか。16連敗中だったロッテの先発・黒木知宏は、9回ツーアウトまで2点リードしていたが、あと1人というところでプリアムに同点2ランホームランを浴びてしまうのだ。マウンドでうなだれる黒木知宏の姿は、ファンの目に焼き付いていることだろう。
以降もルーキーイヤーの松坂大輔との投げ合いなど、人々の記憶に残る熱闘を見せてくれた黒木知宏。このような数々の熱闘が”魂のエース”と呼ばれる所以となった。
まとめ
前身のチームを含めて、千葉ロッテマリーンズの名ピッチャーは成績よりも人々の記憶に残るような投球を見せてくれた選手が多いようだ。
低迷期が長く続いていたこともあり、勝ち星がつきにくいことも影響しているのかもしれない。
最近はチームも強くなり、ポストシーズンへの進出も多く見られるようになった。今後は記録にも残る名ピッチャーの誕生に期待したいところだ。