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名選手列伝!東京ヤクルトスワローズの歴代名ピッチャーは誰だ?

2016 11/10 19:16
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

歴代の名ピッチャーたちを知りたいと思ったことはないだろうか? 今回は東京ヤクルトスワローズの歴史に残る名ピッチャーを紹介する。

伝説の大投手”金田正一”

日本プロ野球界歴代最多の400勝をマークした金田正一を外すことはできないだろう。 金田正一は、東京ヤクルトスワローズの前身である国鉄スワローズで353勝をマークしている。1950年代にもかかわらず、スポーツ医学を経験でまとめ上げた逸話が残っているほど体のケアを十分にしていた。そういった努力があってこその400勝という大記録なのだろう。
また、長嶋茂雄のデビュー戦で4打席4三振を奪ったシーンは今でも語り草となっている。打撃も上手で、通算38本塁打を放っており、代打で出場することもしばしばあった。

初優勝の立役者”松岡弘”

1978年にヤクルトスワローズが初の日本一に輝いた時のエースである松岡弘も、歴代の名ピッチャーに間違いなく入ってくるだろう。
ヤクルトが優勝した1978年、松岡弘は投手タイトルを獲得していないにもかかわらず沢村賞を受賞する。日本シリーズでは阪急ブレーブスとの死闘を制し、勝ち試合にすべて登板していたタフネス右腕でもあった。 速球派として知られる松岡弘には、長嶋茂雄も一目置いており、「江夏よりも松岡の方が球が速かった」と語っていたようだ。2016年7月19日に行われた神宮球場90周年記念試合では始球式を務め、まだまだ元気な姿をファンに見せてくれた。

史上最高のスライダーを投げた男”伊藤智仁”

史上最高のスライダーを投げたとも言われている伊藤智仁は、太く短くの代名詞だろうか。 1993年に入団し、7月中旬までの登板ながら7勝2敗、防御率0.91をマークして新人王に輝く。その後はヒジ、肩のケガとの戦いが続き、1994年、1995年と登板はない。1996年後半に復帰し、1997年はカムバック賞を受賞する。
その後は満足する成績を挙げられなかったが、1年目に伊藤智仁が残したインパクトは強烈で、未だに史上最高のスライダーは?という質問に名前が挙がるほどだ。現在は東京ヤクルトスワローズの投手のコーチとして後進の育成に努めている。

小さなエース”石川雅規”

石川雅規も東京ヤクルトスワローズの名ピッチャーに入ってくるだろう。優勝した翌年の2002年にデビューし、新人王を獲得。その後、167センチと小柄ながらケガも少なく計算できる投手としてチームを引っ張っている。 2015年には神宮球場で無類の強さを誇り、チームの14年ぶりの優勝に貢献する。ストレートは130キロ台と速くないが、変化球とのコンビネーション、そしてコントロールで凡打の山を築く。
球速が速くない投手のお手本のような存在の石川雅規も、もうベテランだ。ケガをせず1年でも長く現役を続けてほしいものだ。

まとめ

東京ヤクルトスワローズは低迷期が長く続いたが、それぞれの時代、時代には名ピッチャーが存在していた。 チームの強さと名ピッチャーの数は比例しないのかもしれない。