「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

大記録を生む名選手の数々!阪神タイガースの名ピッチャー3人

2016 11/10 19:16
甲子園,ⒸSPAIA
このエントリーをはてなブックマークに追加

ⒸSPAIA

六甲おろしの大声援の中、聖地・甲子園をホームにするタイガース。これまで数々の記録を打ち立ててきた選手たちは、ぜひとも知っておきたいところだ。 今回は阪神タイガースの名ピッチャー3人を紹介する。

ミスタータイガース!藤村富美男

1936年に当時の大阪タイガースに入団し、戦前からプロ野球創成期に活躍した藤村富美男選手。タイガース初の公式戦で完投勝利を収めただけでなく、投手でありながら初代ホームラン王に輝いた。
その後、内野手に転向し、当時最強と言われた「ダイナマイト打線」で不動の4番打者として定着。日本プロ野球史上初のサイクル安打も記録した。試合中盤にはリリーフ投手として登板、選手兼任監督も担った時期もあり、二刀流ならぬ三刀流の活躍をみせた藤村選手。このような大活躍によって、関西のファンから「ミスタータイガース」の愛称で親しまれることとなった。
専任監督や現役選手への復帰など紆余曲折を経て1959年に引退。背番号10は阪神タイガース初の永久欠番とされ、1974年に野球殿堂入りを果たした。

戦後最強の投手!村山実

1959年から当時の大阪タイガースで活躍した村山実投手。プロ初登板は前述の藤村選手の引退試合だった。その年、ルーキーイヤーながらも最優秀防御率と沢村賞のタイトルを獲得する大活躍。1962年の日米野球(デトロイト・タイガース戦)では日本人初の完投勝利を果たし、1970年には選手兼任監督ながらも防御率0.98と戦後唯一の防御率0点台を記録した。
その後、1972年に現役を引退。200勝達成以外にも、通算防御率2.09(セ・リーグ記録)、通算WHIP0.95(日本記録)、沢村賞3回受賞(歴代最多タイ)など、現在まで残る大記録を残している。
藤村選手の引退後にエースとなった村山投手は、藤村選手の跡を継いで「二代目ミスタータイガース」と呼ばれ、背番号11が永久欠番となり、1993年に野球殿堂入りを果たしている。

記録にも記憶にも残るドクターK!江夏豊

1967年から阪神タイガースで活躍した江夏豊投手も、数々の記録と記憶を残している。タイガース入団当初より、村山投手をお手本にしており、エースの座を継承。新人ながらもシーズン最多奪三振のタイトルを獲得した。
1968年には、日本記録であるシーズン401奪三振を記録。これはメジャーリーグ記録であるノーラン・ライアンの383個を上回り、現在でも日本記録として残っている。また、1971年のオールスターゲームでは初の9者連続奪三振も記録しており、奪三振は江夏投手の代名詞にもなった。
その後、南海ホークス、広島東洋カープ、日本ハムファイターズ、西武ライオンズに移籍。特に、広島時代の1979年日本シリーズ第7戦で江夏投手が投げた21球は、プロ野球屈指の名場面とされ、山際淳司の「江夏の21球」というノンフィクションの題材にもなったことで有名になった。

まとめ

どれも今では考えられないような大記録ばかりを生み出してきた3人の投手たち。現代野球とは状況が異なるが、それだけ伝統のある球団で熱狂的なファンがいることも分かる。今後、この投手たちに匹敵するような投手が現れるのか注目してみたい。