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【語り継ぎたい名選手】北海道日本ハムファイターズを支えたバッター

2016 11/10 19:16
野球
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出典https://www.daily.co.jp/

雪深い北の大地を熱くさせた球団の歴史を紐解き、変革したチームを支えたバッターたちを振り返ってみるのはどうだろうか? 北海道へ移転したファイターズを引っ張り、新たな時代を築いた名選手を紹介する。

ファイターズに吹いた新たな風?SHINJO

阪神タイガース、メジャーリーグで活躍したSHINJO(本名・新庄剛志)さん。彼は2004年に日本プロ野球へ復帰する際、復帰先として新天地となる北海道日本ハムファイターズを選択する。
入団時に行われた入団発表において「チームを日本一にする」という目標を掲げ、ファイターズの一員となったSHINJOさん。その「ファイターズ日本一」という目標は、2006年に見事達成される。 結果的に有言実行となったSHINJOさんの行動は、北海道の人たちをみるみるうちに魅了。北海道に野球文化が浸透したのは、彼の功績が大きいと言っても過言ではない。
こうしてファイターズの日本一を見届けたSHINJOさんは、17年の現役生活を華やかに終えるのだった。

ファイターズを支えた名バッター?小笠原道大

左のミスターフルスイング、小笠原道大さん。北海道日本ハムファイターズとなる前の東京時代から球団を支えた名選手だ。
「ガッツ」という愛称で多くのプロ野球ファンから親しまれた小笠原さん。2000年から2010年までの10年間(2005年は除く)で打率3割以上をキープする安定したバッティング技術を持ち、国際大会でも数々の功績を残した。また、その長打力も魅力のひとつ。30本以上のホームランを毎年のように放つ豪快さも併せ持ったバッターだった。
入団からファイターズを支えてきたくれた小笠原さんだが、その後はFA宣言でかつてのファイターズと同じ東京を本拠地とする読売ジャイアンツに入団。さらに中日ドラゴンズへと渡り歩き、現在は中日ドラゴンズの二軍監督として次代を担う若い竜戦士たちを鍛え上げている。

ファイターズで新たなスタートを?稲葉篤紀

2005年にFA宣言を経て北海道日本ハムファイターズに入団した稲葉篤紀さん。ファイターズで同じチームとなったSHINJOさんから「内角打ちの天才」と称されるほどのバッティング技術の持ち主だ。
若い頃はストレートに強く変化球に弱かったものの、日本ハム入団後に変化球打ちを克服。ファイターズの主力バッターとして活躍した。そのバッティングフォームは他球団の若手選手が参考にするほど。現役プロ野球選手の声を集めたテレビ番組の企画でも「凄いバッター」として評価されている。
また、稲葉さんといえば、チャンスで打席に入った際に起こる「稲葉ジャンプ」と呼ばれる応援が有名。引退表明後の試合では相手チームのファンも共にジャンプを行うなど、多くの球団のファンから愛されていたことがうかがえる。

まとめ

北海道に移転し、10年以上の月日が経った北海道日本ハムファイターズ。 現在も才能ある若いピッチャーやバッターを中心に、シーズンを戦い続けている。
若い選手が多いチームの将来は、ファイターズファンでなくとも楽しみになってしまうものだ。