「ミスター赤ヘル」山本浩二
現役18年間をカープ一筋で過ごし、広島東洋カープ初となるリーグ優勝をもたらしたことから「ミスター赤ヘル」と呼ばれている。
法政大学卒業後、プロ入りし1年目から試合に出場してまずまずの成績を残していたが、彼が圧倒的な成績を残し始めるのは1975年シーズン、29歳からと、比較的遅咲きの選手でもあった。
しかし、広島東洋カープ最多となる通算536本ものホームランを記録しており、これは大学出身者の日本記録になっている。さらに、その功績が讃えられ、背番号8は広島東洋カープ初となる永久欠番になった。
引退後も、広島の監督、広島テレビ解説者など、広島に携わる活動も多く行っており、今でも広島では絶大な人気を誇っている。
「鉄人」衣笠祥雄
連続試合出場記録の日本記録・世界2位記録、連続フルイニング出場の歴代3位の記録を持ち、たとえ負傷しても怪我を押して試合出場を続けたことなどから「鉄人」の愛称で親しまれている。
1965年に広島東洋カープに入団し、1968年からレギュラーに定着する。打撃スタイルは常にフルスイングを信条とし、三振や凡打をいとわない打撃が魅力的なバッターだった。また、強打者であるがゆえに死球も多く受けたが(日本歴代3位となる161個)、特に怒るような素振りもなく、非常に紳士的な一面もあった。広島東洋カープでは歴代2位となる504本の本塁打を記録している。
引退後は解説者なども務め、1996年に野球殿堂入りを果たした。
「天才打者」前田智徳
広島東洋カープには、上記の2名以外にも数々の強打者が在籍していたが、「天才」という2文字から連想されるのは前田智徳ではないだろうか。生粋のホームランバッターではないかもしれないが、それでもカープ歴代3位となる295本塁打を記録している。
前田智徳の現役時代は怪我との戦いだった。1990年のルーキーイヤーから56試合に出場するなど、入団当初から打撃技術には光るものがあった。しかし、1995年にはアキレス腱を完全断裂してしまい、一時は選手生命も危ぶまれたが、その後復活を遂げて、2005年に146試合に出場し、キャリアハイとなる32本塁打を記録する。
引退後は、現役時代の寡黙なイメージとは異なり、頻繁にメディアに出演するなど、現役時代には見られなかった一面を見せ、カープファンのみならず、他のチームのファンからも人気の高い人物だ。
まとめ
プロ野球では、順風満帆に現役時代を全うする選手がいる一方、前田智徳のように怪我などで苦しみつつも成績を残し続ける選手もいる。
苦しみながらも通算成績では素晴らしい結果を残していることに、改めてプロ野球選手の凄みを実感させられる。
このように、すでに引退した選手であっても、過去の成績に目を向けることでまた新たな発見があるかもしれない。