実は最初は「赤」じゃない!
広島東洋カープといえば真っ赤なユニフォームであり、マツダスタジアムではレプリカユニフォームを着た大勢のファンが全体を真っ赤に埋め尽くしていることでも有名だ。
しかし、広島東洋カープが創設されたときのユニフォームは、なんと赤は一切使用されていないものだった。もうすっかり広島イコール赤になっているだけに、最初は赤のユニフォームではないという事実を知らなかった人はかなり意外に思うかもしれない。
ただし、カープの名前はしっかりと刻まれていて、このユニフォームが鯉の球団史を刻む存在であることが分かるだろう。
赤ヘル旋風でカープは赤の球団に
その後も変遷を続けていった広島東洋カープのユニフォーム。1975年についにヘルメットが赤になり、今では当たり前となっている「赤ヘル」が始まる。そして、1977年には白と赤のデザインに。
この頃から「ミスター赤ヘル」と称された山本浩二氏や「鉄人」衣笠祥雄氏を中心に、カープは圧倒的な成績を残して黄金時代を築き上げた。当時のインパクトは未だに強く、カープはこれ以降もユニフォームを変遷させていくが、ヘルメットとユニフォームに「赤」が欠かせなくなっている。
カープイコール赤を作ったという意味でも、偉大な功績を残された選手たちだ。
市民球場との別れと共に
2009年、カープはこれまでにないフォントでカープの名を刻んだ新ユニフォームに変更した。
この時には、長年使用してきた広島市民球場からマツダスタジアムに本拠地を移転するという、ユニフォームの変更以上に大きな出来事があったが、このユニフォームには新たな広島東洋カープを見せるという思いが込められてるのではないかと思われる。
今までとは一線を画したデザインではあるものの、カープの象徴となっている「赤」に関してはしっかり残されていて、同時に伝統を守っていることも垣間見ることができるだろう。
やっぱり赤は不変?
これからも時代が進むにつれてカープのユニフォームは変わっていくと考えられるが、もうユニフォームから「赤」が失われることはないと思われる。
2016年はセ・リーグ優勝という快挙を達成し、全国のカープファンが社会現象となるほど盛り上がった。今後も「強い赤ヘル軍団」というイメージを後世に残していくために躍進するカープに、さらに注目だ。
まとめ
赤色といえばカープというくらい広島東洋カープは赤を貫いてきた。
セ・リーグ優勝をきっかけに、ユニフォームも変わっていく可能性も十分考えられる。
これからがさらに楽しみだ。