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広島東洋カープの名選手・黒田博樹の功績を探る

2016 10/20 18:39
黒田博樹Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

広島東洋カープのエースといえば誰を思い浮かべるだろうか?やはり「黒田博樹」投手を上げる方が多いのではないだろうか。メジャーの誘いを断り、カープに帰ってきた男気あふれる好投手。黒田投手の功績を交え、その野球人生を振り返っていこう。

黒田博樹の野球の原点

黒田博樹投手は1975年2月10日に大阪で生まれた。父は元プロ野球選手である黒田一博さん。野球界のサラブレッドとも呼べるかもしれない。
子供のころは父が監督を務めるボーイズリーグのチームに所属し、野球の基礎力を身につけていった。 高校は大阪の上宮高等学校へ進学。しかし、子供のときは野球が楽しいとは思わなかったとのこと。そこで経験した厳しい練習が、現在のマウンドで臆することない精神力を築きあげたのかもしれない。

プロ野球の世界へ?広島東洋カープへの入団

1996年のドラフト逆指名で黒田投手はプロ野球の世界に足を踏み入れる。入団したチームはもちろん『広島東洋カープ』。ここからカープと黒田投手の深い絆が始まるのだ。
入団当初は2軍から始まり、1イニング10失点を喫するなどの苦い経験も味わう。しかし、同年4月には初登板・初先発・初勝利・初完投という快挙を達成。新人ながら先発ローテーションに組み込まれ、カープの大事な戦力となる。 その後も順調に経験を重ね、やがてカープのエースとしてマウンドに君臨するのだ。

憧れのメジャーリーグへの挑戦

2007年、黒田投手はFA権を行使しメジャーリーグへの挑戦を決断する。しかし、黒田投手のカープへの愛は変わらず、記者会見にて「また日本に帰ってプレーするならこのチームしかない」と自ら語り渡米した。 メジャーリーグでは2つの球団を渡り歩き、ノーヒットノーランを達成するなど、立派な戦力として輝かしい成績を納める。
カープ出身選手で初のメジャーリーガーとなった黒田投手。数々の経験を積み、大投手としての実績をさらに大きくするのだった。

あふれる男気。広島東洋カープへの復帰

渡米し、メジャーリーグでも輝かしい成績を残した黒田投手。順調なメジャー生活を送っていたと思われた矢先、7年の渡米生活にピリオドを打つことが発表された。ドジャースやパドレスがオファーを出すなか、それらをすべて断り古巣のカープ復帰を決意したのだ。
日本に戻るならカープしかない、という約束が果たされた瞬間だった。 海外球団からの高額な契約を断り古巣復帰を果たした黒田投手の行動は、”男気”と称され日米に大きな反響をもたらした。

黒田投手の男気がカープを頂点へ

日本球界に復帰した黒田投手。 残り少ない野球人生の中最後の1球はカープで投げたい、 という思いが古巣カープへの復帰を決断させたのだ。
復帰した2015年シーズンは優勝には届かず、引退も囁かれるなかで現役を続行。そして迎えた2016年シーズン。黒田投手は優勝マジックを1とした試合に先発登板して見事勝利。カープは念願となる25年ぶりの優勝を果たすのだった。それは黒田投手がカープに見せる“男気”に惚れた野球の神様が力を貸した瞬間だったのかもしれない。

まとめ

カープとの約束を守った黒田投手の男気。その実直な心意気が同僚や後輩はもちろん、ファンからも憧れの眼差しを受ける一番の理由なのだろう。 想いを貫き、最後の1球をカープで投げることを決断した黒田投手。カープに残してくれた功績は計り知れない。