「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

読売ジャイアンツ、高橋由伸監督の素顔とは?

2016 10/11 18:34
野球 監督
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by www.tokyo-sports.co.jp

2016年から読売ジャイアンツの選手を引退し、監督に就任した高橋由伸監督。新監督である高橋由伸氏はそのようにして今の地位を築いたのでしょうか。本記事ではその数々の偉業を辿っていきます。

高橋由伸監督は、どんな小学生だった?

2015年から読売ジャイアンツの新監督になった高橋由伸氏は、小学生の頃から素晴らしい選手でした。
千葉県生まれの高橋由伸氏は、右利きなのに3歳から左打ちでバットを握っていました。小学4年生で入団した地元の野球チームでは、6年生ばかりがレギュラーに選ばれる中、彼一人だけが4年生レギュラーとして3番ショートで活躍しました。
リトルリーグでは県大会優勝を果たし、野球の才能に恵まれていました。父と一緒に二人三脚で野球に励んでいましたが、少し斜に構えた子どもでもあったそうです。

甲子園出場は父のために!高橋由伸監督が高校を決めたきっかけ

小学生の頃からレギュラーとして活躍していましたが、夢はプロ野球選手ではありませんでした。
高校は甲子園出場よりも、将来を見据えて学業に励むことができる進路を考えていたそうです。しかし、家族の意向もあり、神奈川県の野球の名門校「桐蔭学園高校」に入学しました。
このとき、高橋由伸氏は「甲子園で活躍して、慶應義塾大学に推薦で入ろう」と決意したとのことです。家族の中でも、野球熱心な父や兄とは対照的に、野球を好きになれない自分がいた時代もあったようです。

高橋由伸監督の高校時代

理由は複雑ではありますが、「桐蔭学園高校」の野球部に入ることができた高橋由伸氏は、1年生から驚異的な活躍をしました。甲子園出場経験のある先輩がいるにも関わらず、入部早々3番ライトとしてレギュラーに選ばれました。
その年の「桐蔭学園高校」は甲子園に出場し、3回戦で敗退しました。2年生のときには4番打者に選ばれましたが、甲子園1回戦で敗退してしまいました。その後、けがで入院して野球を続けるか悩みましたが、部員からのサポートもあり、3年生からは主将として活躍しました。

読売ジャイアンツに入団するまでの経緯

甲子園通算打率4割の実績を残した高橋由伸氏は、高校卒業前に東京ヤクルトスワローズからのスカウトがありました。しかし、彼は憧れの慶應義塾大学に行くために、指定校推薦で大学野球を続ける道を選びました。慶應義塾大学の野球部でも、1年次から5番サードのレギュラーとして活躍しました。
1996年の東京六大学野球では、打率5割1分2厘、5本塁打で三冠王に選ばれ、4年次には野球部主将になりました。大学卒業後、球団同士の激しい争奪戦の末、読売ジャイアンツへの入団が決まりました。

読売ジャイアンツ入団から現在に至るまで

1998年、当時の長嶋茂雄監督からは「21世紀のスター」として期待されていました。その期待に応えるように、開幕戦では7番ライトに選ばれ、プロ入り初安打を達成しました。プロ1年目から打率3割という成績を残し、一本足打法で5番打者として活躍しました。
しかし、鎖骨骨折のけがなどにより、スランプを経験しました。そんな中でも2年連続打率3割をキープしたことで、2000年には選手会長に任命されました。その後、2006年に元日本テレビの小野寺麻衣アナと結婚し、翌年ゴールデングラブ賞を受賞しました。
2015年には体の衰えにより現役引退を表明し、巨人軍の監督として現在でも活躍しています。

まとめ

いかがでしょうか?野球を好きになれない時代もあった高橋由伸氏ですが、数々の実績を残して、現在も読売ジャイアンツの新監督として活躍しています。今後も、高橋由伸監督率いる巨人軍の動きに期待が高まります。

以上「読売ジャイアンツ、高橋由伸監督の素顔とは?」でした。

関連記事

おすすめの記事