イチロー氏がMLBの「オール新人王チーム」に選出
新型コロナウイルスの影響で開幕が遅れているのは日本のプロ野球だけではない。アメリカのMLBも同様である。そのなかで各チームは、過去の名場面の動画や様々な投票企画などを進めファンを喜ばせている。
そんな中、MLB公式サイトはこれまでの歴代新人王だけで構成されたベストナインを発表した。いわば「オール新人王チーム」である。日本人選手からはイチロー氏(マリナーズ/2001年)が選ばれている。
この年のイチロー氏は打率.350(692打数242安打)、8本塁打、69打点、56盗塁の成績を残し、史上2人目となる新人王とMVPの同時受賞を果たした。また、首位打者と盗塁王、ゴールドグラブ賞、シルバースラッガー賞とタイトルを総なめ。長い歴史を誇るMLBではあるが、堂々の選出となったのである。
さて、同じように日本の新人王でチームを組んだらどのような構成になるのだろうか。各ポジションごとに複数名を独自でピックアップしてみた。ちなみに評価に使用する成績は新人王を受賞した年度のみ。後の成績は考慮に入れていない。
権藤博は35勝の新人記録を樹立
投手は先発部門と救援部門で3人ずつを選んでみた。

パ・リーグ初代の新人王となった荒巻淳(毎日)は最多勝と最優秀防御率を同時に獲得し、リーグ優勝そして日本一の立役者となった。1956年の稲尾和久(西鉄)は高卒1年目ながら21勝をマーク。さらに驚くべきなのは262.1回を投げながらも防御率が1.06と圧倒的な数字を残したことだろう。
1961年には「権藤、権藤、雨、権藤」でもおなじみの権藤博(中日)が新人王に輝いた。35勝は新人におけるNPB最多記録となっており、もはや更新は不可能な領域だ。

中継ぎ投手は先発投手よりも比較的最近の投手が多い。1990年の与田剛(中日)は31セーブを挙げる大活躍を見せた。パ・リーグの新人王が野茂英雄(近鉄)だったこともあり、取り上げられる機会は少なかったものの、最優秀救援投手のタイトルも獲得している。
2009年には攝津正(ソフトバンク)が勝利の方程式に入り、34ホールド、防御率1.47の成績を残し、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。2015年の山崎康晃(DeNA)は開幕直前に守護神に指名されると、オールスターゲームにもファン投票で選出されるほどの活躍。最多セーブのタイトル獲得はならなかったが、文句ない成績を収めている。
長嶋茂雄と桑田武は本塁打王も同時獲得
野手の新人王は投手に比べると受賞率が低い。だが、これまでの歴史を振り返ってみると、各ポジションごとに優秀な成績を収めている選手が選出されている。

捕手はこれまでに2人の新人王しか誕生していない。1969年の田淵幸一(阪神)と1984年の藤田浩雅(阪急)である。いずれも22本塁打を放ち、「打てる捕手」としてチームに貢献した。
一塁手は1986年の清原和博(西武)と2019年の村上宗隆(ヤクルト)だろう。いずれも30本塁打を超える長距離砲として結果を残した。このポジションは、ベテランや外国人といったパワーヒッターの起用が多いなか、清原は高卒1年目、村上は同2年目にレギュラーを奪ったのである。
二塁手は1980年の岡田彰布(阪神)と1982年の大石大二郎(近鉄)を選出した。岡田は起用法をめぐる一悶着があったものの、スタメン起用されるようになってからは、しっかりと成績を残している。
三塁手は、本塁打王も獲得している1958年の長嶋茂雄(巨人)と1959年の桑田武(大洋)。桑田の31本塁打は現在でも清原と並ぶ新人の最多本塁打記録となっている。
守備の負担をを考えると、1年目からレギュラーを奪うことすら大変な遊撃手では、1954年の広岡達朗(巨人)と1981年の石毛宏典(西武)を選出した。両選手とも打率3割、2桁本塁打を記録しているのは特筆に値する。
張本勲は高卒1年目からレギュラーを獲得
外野手は1959年の張本勲(東映)、1968年の高田繁(巨人)、2000年の金城龍彦(横浜)、2001年の赤星憲広(阪神)、2005年の青木宣親(ヤクルト)と新旧の選手たちからピックアップしている。

近年の3人である金城と青木は首位打者、赤星は盗塁王といずれもタイトルを獲得しており、新人という枠組みだけでなくリーグでも屈指の存在だった。
NPB最多安打記録を誇る張本だが新人時代の成績は際立ったものではなかった。だが、これは高卒1年目の数字である。時代が違うとはいえ、打撃が優先されることの多い外野手で出場機会を勝ち取ったのはさすがというべきか。
高田は規定打席に到達しなかったものの打率3割を記録。巨人のV4にリードオフマンとして貢献した。
ここに挙げた選手たちは筆者の独断と偏見である。プロ野球が開幕するまでの日々で自分だけのドリームチームをつくってみるのも面白いかもしれない。