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イチロー初球打ち通算打率.365 数字で振り返る偉大な足跡

2019 3/28 11:00田村崇仁
イチロー,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

「世界一の安打製造機」が引退

不世出の大打者がついにバットを置いた。

イチロー日米通算成績表,ⒸSPAIA

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日米の28年間で積み上げた安打は通算4367本。米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手(45)=本名鈴木一朗=が3月21日に東京ドームで行われたアスレチックスとの開幕第2戦を最後に現役引退を表明した。世界一の安打製造機と呼ばれた男に感傷的な涙はなく「後悔などあろうはずがありません」と晴れやかな表情で終止符を打った。「最低でも50歳現役」の目標は達成できなかったが、偉大な足跡を数字で振り返る。

262安打

2004年、米大リーグでシーズン最多安打の新記録を樹立。数ある記録の中でも最も輝きを放つ数字の一つだろう。ジョージ・シスラーの大リーグ記録を84年ぶりに更新した。マリナーズでデビューした01年にはジョー・ジャクソンが保持していた新人のシーズン最多安打を90年ぶりに超える242安打をマーク。日本のプロ野球ではオリックス3年目の1994年、才能を開花させ、当時のプロ野球記録を塗り替えるシーズン210安打を記録している。

10年連続200安打

大リーグで01年~10年まで10年連続シーズン200安打のギネス記録。09年には史上初の9年連続200安打を達成し、ウィリー・キーラーが1894年から1901年に記録した8年連続を108年ぶりに更新する偉業を成し遂げた。

イチローメジャー成績表,ⒸSPAIA

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シーズン最多安打を生涯で7度マークした打者は、ほかにタイ・カッブとピート・ローズしかいない。

オールスター戦出場も10年連続、ゴールドグラブ賞も10年連続で受賞している。イチローがメジャーで輝いた時代の象徴的な数字でもある。

日本選手最速2000安打

04年5月、タイガース戦で日米通算2000安打を達成。安打数の内訳は日本で1278、大リーグで722。2000本安打を達成した選手の出場試合数を見ると、川上哲治(巨人)の1646試合、達成年齢は榎本喜八(東京=現ロッテ)の31歳229日が最速。イチローは大リーグの成績が含まれているため、日本での達成者には認定されないが、1465試合、30歳212日での到達でいずれも「日本選手最速」となった。

09年9月にはアスレチックス戦で大リーグ通算2000安打を達成した。大リーグで近代野球とされる1900年以降では2000安打到達が最も速かったのはアル・シモンズ。イチローはシモンズより12試合多い2番目の1402試合での節目の到達となった。

09年日本選手で最多の3086安打達成

09年4月、日米通算で張本勲氏の持つ日本プロ野球記録の3085安打を上回り、日本選手では最多の日米通算3086安打をマークした。

16年ピート・ローズを上回る4257安打達成

16年6月、マーリンズ時代に日本での1278安打と合わせて4257安打をマークし、往年の名選手ピート・ローズが持つメジャー記録の4256安打を日米通算で上回った。これはギネス世界記録に認定されている。この「ローズ超え」は、達成目前にローズが日米球界には厳然としたレベル差があることを指摘し「次はいつの間にか高校時代のヒット数も加えるのではないか」とやゆしたことで、日米球界で物議を醸した。同年8月、史上30人目のメジャー通算3000安打を達成した。

内野安打713本

イチローといえば、しなやかな打撃と圧倒的なスピードで内野安打も量産し、ベースボール・リファレンスによると、メジャー通算で713本を記録した。これはメジャーでマークした通算3089安打の約23%に当たる。内野安打はメジャー1年目の01年に56本を放つと、10年には最多の64本を放つなど、野球の累間90フィート(約27.432メートル)でメジャーの常識を覆した。

初球の打率、3割6分5厘

天性の打撃センスを持つイチローは初球打ちを得意とし、メジャー通算で3割6分5厘をマークした。カウント別で見ると、1ボールからの2球目が通算3割7分7厘で最高打率。2ストライクに追い込まれると、さすがに2割3分台に落ちるが、フルカウントからは2割9分9厘を記録した。3球目でボールが先行した場合と、ストライクが先行した場合では打率が大きく異なり、2ボール1ストライクからは3割6分7厘、1ボール2ストライクからは2割3分1厘だった。

45連続盗塁

走攻守の三拍子そろったイチローらしく、06~07年にシーズンをまたいでア・リーグ記録となる45連続盗塁に成功。盗塁王のタイトルはプロ野球で95年に49盗塁で1回、大リーグではデビューした01年に56盗塁で1回獲得した。

7年連続で首位打者

プロ野球のオリックス時代、史上初のシーズン200安打に到達した94年から7年連続で首位打者に輝いた。

イチロータイトル表,ⒸSPAIA

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これも驚異的な偉業だ。94年は3割8分5厘、00年は3割8分7厘の高打率をマークし、日本通算3割5分3厘。米大リーグでは新人時代の01年に242安打を放って3割5分、メジャー新記録の262安打をマークした04年には3割7分2厘で2度の首位打者に輝いた。大リーグでは通算3割1分1厘を記録している。

216打席連続無三振

1997年、216打席連続無三振を記録。78年に藤田平(阪神)が作った208打席のプロ野球記録を19年ぶりに破った。たぐいまれな動体視力とバットコントロールを持ち、数々の記録を打ち立てたイチローらしいもう一つの偉業でもある。オリックス時代の9年間は4098打席で333三振、米大リーグでは10734打席で1080三振だった。

ワールド・ベースボール・クラシック2連覇に貢献

野球の日本代表でも鮮烈な印象を残し、06、09年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で2連覇に貢献した。06年はハンク・アーロンを上回る868本塁打を放った王監督の下、大リーグの名選手らしく大車輪の活躍で世界の頂点にたどり着いた。09年は一転して極度の不振に陥ったが、韓国との決勝で中前に決勝打を放ち、その存在感は今も語り継がれている。

大リーグ球宴史上初のランニング本塁打

07年7月、米大リーグの第78回オールスター戦で大リーグ球宴史上初のランニング本塁打を放ち、3安打2打点の活躍でア・リーグの5-4の勝利に貢献した。日本選手で初めて最優秀選手(MVP)となった。イチローは五回に右中間を破る打球を放ち、本塁まで駆け抜けた。本塁打、複数安打とも日本選手では初めて。

日本人野手として初めてメジャー挑戦した01年、マリナーズでシーズン242安打の打率3割5分、8本塁打、69打点、56盗塁でア・リーグ最優秀選手と新人王を同時受賞した。将来的には日本人初の米国野球殿堂入りが確実視されている。

弓子さんの作ったおにぎりの数2800個(番外編)

試合前に食べる、妻の弓子さんの作ったおにぎりの数。自身の安打数に迫っていたエピソードを引退会見で披露した。「3000個握らせたかった」と大リーグ通算3000安打を達成している大打者らしく、妻への感謝を語った。