シンシナティ・レッズの歴史
ナショナルリーグ中地区に所属し、オハイオ州シンシナティのグレート・アメリカン・ボール・パークが本拠地のシンシナティ・レッズ。創立は1882年だが、1869年から存在していたため、最古のプロ球団と言われている。
当初のチーム名はレッドストッキングスだったが、1890年にレッズへ変更。その後、レッドレッグスだった時期もあり、1959年に再びレッズに。創立以降優勝したことがなかったのだが、1919年にシカゴ・ホワイトソックスを破り初めてワールドシリーズを制覇。1940年には2度目のチャンピオンに輝いている。
1970年代はリーグ優勝を4回、地区優勝を6回。また1975年と76年はワールドシリーズ2連覇を達成。1980年代は地区優勝から遠ざかり、1990年のワールドシリーズで5度目のチャンピオンに輝いた。2000年代に入りしばらく低迷したが、2010年と2012年には地区優勝を果たし、2013年はワイルドカードでプレーオフに進出。
2015年にマイアミ・マーリンズがイチローを獲得したため、レッズだけがMLBで唯一、日本人選手が所属したことのない球団となった。
レッズの黄金期
スパーキー・アンダーソンが監督に就任したのが1970年。そして、ピート・ローズやジョニー・ベンチ、ジョー・モーガンら「ビッグ・レッドマシン」による強力打線。
これにより、リーグ優勝4回、地区優勝6回、1975年と76年はワールドシリーズ連覇と輝かしい成績を残した1970年代は、まさにレッズの黄金期といえる。
2000年代は長期低迷のシンシナティ・レッズ
マリナーズからの移籍でケン・グリフィー・ジュニアを獲得した2000年、親子2代にわたってのスター選手在籍となったため大きな話題に。しかし、その年のレッズは地区2位だった。
その後低迷期に突入し、2007年まで7年連続負け越し。3年連続チーム本塁打200本越えといった打者の活躍はあったものの、投手陣は弱体化し、チームの防御率は4点台後半から5点台となるリーグワーストを記録。チームの補強を迫られていた。
シンシティ・レッズの優勝パレードは大盛り上がり
レッズの優勝パレードは市民総出。大きな盛り上がりを見せてくれるだろう。
FindiayMarketから始まるパレードでは、バスやオープンカーに乗った監督やコーチ、そして選手らがファンの声援に応える。この日を心待ちにしていたファンで沿道は埋め尽くされ、優勝を祝う姿が見られるはずだ。