サンフランシスコ・ジャイアンツの歴史
MLBナショナルリーグの西地区所属のサンフランシスコ・ジャイアンツ。本拠地はカリフォルニア州サンフランシスコのAT&Tパークだ。リーグ優勝は23回、ワールドシリーズ進出は20回とナショナルリーグでは最多の記録を持っており、名門球団として知られている。同地区の強豪ドジャースとは、勝争いが絶えない因縁の宿敵。熱狂的なファンも多く、ドジャース戦となれば、満員御礼。
ジャイアンツには日本人初のメジャリーガー、村上雅則が在籍していた。また、2002年に在籍していた新庄は、日本人初のワールドシリーズ出場を果たしている。
サンフランシスコ・ジャイアンツ、1955年までに5度の世界一に!
1958年にニューヨークからサンフランシスコに移転するまで、ワールドシリーズで5度の優勝、リーグ優勝21回のリーグ最多記録を持っていた。
1940年からの約10年間はリーグ優勝することもなく低迷。ようやく1951年に戦後初のリーグ優勝を飾ったものの、ワールドシリーズではヤンキースに敗れ制覇することができなかった。1962年と1971年にリーグ優勝したが、その後再び低迷期を迎えてしまう。
バリーボンズ、新庄を獲得したサンフランシスコ・ジャイアンツの復活!
1982年にバリーボンズをドラフト指名したが、契約金で折り合いがつかなかったため獲得できず、1993年にFAになっていたバリーボンズ(ピッツバーグ・パイレーツ所属)を獲得。ボンズはシーズン初の40本塁打を記録しジャイアンツの期待に応えたものの、ワールドシリーズ進出とはならなかった。
しかし好関係を築いたボンズと新庄の活躍により、2002年に久々のリーグ優勝を果たした。この時、新庄が日本人初となるワールドシリーズ出場選手となったのだ。
好調期のサンフランシスコ・ジャイアンツ
2007年にボンズが退団し、2008年から再スタートをきったジャイアンツは若手を多く起用。すぐに好成績を収める事はできなかったが、新人賞を獲得したバスター・ポージーやマディソン・バンガーナー等の活躍もあり、2010年、実に8年ぶりのリーグ優勝を果たすと、サンフランシスコ移籍後初のワールドシリーズ制覇も成し遂げた。
その後、2014年までに3度のワールドシリーズを制覇。輝かしい記録を獲得できるほどに力を取り戻した。
サンフランシスコを埋め尽くすほどの優勝パレード
2010年、2012年、2014年と5年間で3度の優勝パレードを開いたジャイアンツ。そのパレードではサンフランシスコを埋め尽くすほどの人で溢れかえっていたと言われている。
フェリービルを出発し、マーケットストリートを経由、市庁舎前で祝賀セレモニーが開かれるパレード。この日は交通機関もマヒするほどの人の多さで、少しの移動さえ困難な状態。中にはお祭り騒ぎに便乗し、暴徒化するファンも。