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オークランド・アスレチックスの優勝パレードと祝賀会の歴史

2016 9/2 12:22
オークランドアスレチックス
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Photo by Eric Broder Van Dyke/Shutterstock.com

オークランド・アスレチッ 発足は1893年フィラデルフィア。その後1901年にアメリカンリーグに所属し、1931年までにア・リーグ優勝9回、ワールドチャンピオン5回という輝かしい記録を持っている。

1909年からの6年間の黄金期を迎えたアスレチックス

1909年からシャイブ・パークを本拠地として活躍。それから1914年までの6年間に連続90勝以上、ワールドシリーズには4回出場し、うち3回はチャンピオンといわゆる黄金時代を迎えた。

当時、一塁手のスタフィ・マッキニス、二塁手のエディ・コリンズ、三塁手のフランク・ベーカー、遊撃手のジャック・バリーは「10万ドルの内野陣」とも言われた。

ところが主力投手や二塁手がいなくなった1915年、最下位に転落。それまでの活躍が「嘘のように」だ。

1925年アスレチックスの復活!

低迷が続いていたアスレチックスだったが、1925年に88勝を挙げシーズンを勝ち越し、1927年から6年連続で90勝以上挙げるまでに復活。当時は、「殺人打線」とも呼ばれていたニューヨーク・ヤンキースが全盛期だったが、1929年からの3年間はアスレチックスがリーグ3連覇を果たした。

そのうち2回はワールドチャンピオンだったこともあり、「再びアスレチックスの時代か?」とも囁かれたが、翌年から緊縮財政をとり、主力選手を次々に放出。再び低迷を迎えてしまった。

近年のアスレチックスの活躍

長い低迷期を脱したのは1971年。初の地区優勝を果たしたアスレチックスは、1972年から1974年までにワールドシリーズ3連覇という快挙を成し遂げた。しかし近年は観客動員数も減少し、成績も伸び悩んでいる。

そんな中、2011年に松井秀喜を獲得。メジャー転身初のチームとして貢献した松井だったが、その年は地区3位の結果に終わってしまった。後に本拠地の移転計画も出たが、住民の反対などにより一時中断。2017年にシスコ・フィールドとしてサンノゼに移転する予定だといわれています。

アスレチックスの優勝パレードに白い象

現在、アスレチックスのユニフォームについているマークや、球団のマスコット「ストンパー」のモチーフとなっている白い象。由来は、1905年のワールドシリーズで対戦したジャイアンツの監督だったジョン・マグローが罵った「白い象のように意味のない存在」に、自嘲を込めマスコットにしたといわれている。

1911年にジャイアンツを下しワールドチャンピオンになったアスレチックスは、優勝パレードに白い象を参加させた。もともとは象に白いペンキを塗る予定だったのだが、住民からの反対もあり、白い布を被せて参加させることに。