セントルイス・カージナルスの2011年Vパレード
レンジャーズとの大接戦を制してセントルイス・カージナルスが5年ぶり、通算11回目の優勝を果たした2011年。優勝パレードには30万人ものファンが参加した。
現役選手に混じって米殿堂入りを果たしているルー・ブロック氏やレッド・ショーエンディーンスト氏、オーナー兼会長のビル・デウィットJr氏らがピックアップトラックに乗り込んで、沿道を埋めたファンに向けてトロフィーを掲げながら優勝を報告。
1時間ほど市街地を回った後に本拠地のブッシュ・スタジアムで開催した祝勝会では、主砲のプホルスが「最高のファンだ」と感謝を述べた。
1926年に初の世界一となったセントルイス・カージナルス
セントルイスにプロ球団ができた当時、「さまざまな球団が誕生しては消えてゆく」の繰り返しだった。1900年にリーグのチーム数が8チームに固定されたのをきっかけに、現在の名称に変更。
1915年には19歳で入団したロジャース・ホーンスビーが6年連続の首位打者、2度の三冠王となるなど輝かしい戦績を残し、チーム変革のきっかけを作った。1926年にキャプテンから選手兼監督に就任し、初のリーグ優勝。ワールドシリーズでは伝説のプレーヤー、ベーブ・ルース率いるヤンキースと対戦し、4勝3敗で初の世界一に輝いた。
ワールドチャンピオンとなった球団が選手に記念のリングを配る習慣ができたのは、この時からだ。
セントルイス・カージナルスの黄金期を作ったヒーロー
初のワールドチャンピオンに輝いた1926年からカージナルスは、常勝軍団としての階段を登り続ける。27年にホーンスビーとトレードでやってきたフランキー・フリッシュ(ニューヨーク・ジャイアンツ、現サンフランシスコ・ジャイアンツ)が盗塁王とMVP獲得と活躍を見せ、31年にアスレチックスを破り2度目の世界一に。
34年にはエースとして台頭したディジー・ディーンが30勝でMVPとなり、弟のポールとともに活躍。デトロイト・タイガースを破り、3度目のチャンピオンとなった。その後も42、44、46年とワールドシリーズを制覇。チームは黄金期を迎えた。
セントルイス・カージナルスのファンは最高の野球ファン
全米で一番の野球の街とも言われているセントルイス。市民はバスケットやアメフト、ホッケーなど他のメジャースポーツには目もくれず、ほとんどがカージナルスのファンだ。野球関係者が口をそろえて「セントルイスのファンこそ、最高の野球ファン」と言うほどの熱狂ぶり。
ヤンキースを破り実に18年ぶりのチャンピオンになった1964年、興奮した多くのファンがスタジアム内に入りチームを祝福する様子が残っている。チームへの愛情の深さがうかがえる。
セントルイス・カージナルスで愛された日本人選手「田口壮」
カージナルスで最も活躍した日本人選手といえば、プロ野球・オリックスから移籍した田口壮だろう。適時打が多くチャンスに強い打者として起用。トニー・ラルーサ監督は2006年のワールドシリーズ優勝パレードのスピーチにおいて、優勝の立役者として一番に名を挙げている。
妻や子供、両親と一緒にパレードに参加した田口は「セントルイスが野球天国であることを感じた1日」と感慨深げにファンに手を振り、応援への感謝を述べた。パレードの様子は日本でもニュースとなり「カージナルスに田口あり」を強く印象づけた。