生きた伝説イチローの歩み
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※画像の数字は2017年終了時点ⒸSPAIA
ここまでプロ野球、メジャーリーグで大きな実績を残したイチローは、プロ入り前の愛工大名電高時代から名前は一部に知れ渡っていたものの、ドラフトの目玉的扱いではなかった。2度出場した甲子園では、ともに初戦敗退と目立った成績を残していなかったことが要因のひとつだろう。
しかし、1991年ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブから指名を受けプロ入りを果たすと、高卒1年目から一軍で40試合に出場。プロ初安打を含む24安打を放ち、期待の若手として取り上げられることも多くあった。また、二軍ではジュニア・オールスターゲーム(現・フレッシュ・オールスターゲーム)に出場。本塁打を放ち、MVPを受賞するなど頭角を現しつつあった。2年目には野茂英雄(当時・近鉄)からプロ初本塁打を記録したものの、1年目より数字を落とし12安打に終わってしまう。
大ブレイクしたのは3年目となる1994年だ。プロ野球記録であるシーズン210安打(当時)、69試合連続出塁を果たし、MVPを受賞する。首位打者・最多安打・最高出塁率・ベストナイン・ゴールデングラブ賞とタイトルを総なめにし、その名は一気に全国へと知れ渡った。
以降、7年連続首位打者・ゴールデングラブ賞・ベストナインを獲得したイチロー。9年間で1278安打を積み上げるなど大きな実績を残し、ポスティング制度で2000年オフにシアトル・マリナーズへと移籍した。
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メジャーリーグ移籍初年度となった2001年。イチローは日本時代と同じく驚異的な活躍をみせることになる。開幕戦をマルチ安打でスタートさせると、年間を通じて新人最多安打記録となる242安打をマーク。首位打者・盗塁王・ゴールドグラブ賞・シルバースラッガー賞を獲得すると1975年のフレッド・リン以来、史上2人目となる新人王・MVPの同時受賞の快挙を成し遂げた。この快挙はイチロー以降も成し遂げた選手は存在しない。
2004年には、日米通算2000本安打を日本人選手史上最速(1465試合)・最年少(30歳7カ月)で達成する。また、年間262安打を放ち、それまでの年間最多安打記録となっていたジョージ・シスラーの257安打を84年ぶりに更新するなど、記録ずくめのシーズンとなった。
移籍後5年目となる2005年にはメジャー通算1000本安打を達成。2007年には、45回連続盗塁成功のアメリカンリーグ記録を樹立し、2008年には日米通算500盗塁を達成するなど、打撃だけでなく足でも快挙を成し遂げている。
2009年には日米通算3086安打を記録し、張本勲氏のもつ日本最多安打記録である3085安打を更新。2010年にメジャー通算2000本安打、10年連続3割・200本安打・ゴールドグラブ賞受賞を達成している。
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2011年は、メジャー移籍後初めて200安打を割り込んだものの184安打を記録し、マリナーズにおける球団最多安打記録を更新。この安打記録は2012年途中、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍するまでに2533本まで積み上げている。
2012年途中にヤンキースへとトレードされると、憧れていたバーニー・ウィリアムスの背番号をつけることはできないとイチロー自身が固辞したため、背番号『31』に変更された。移籍後は確固たるレギュラーではなく、試合中盤からの守備固めや代打が主な役割となったが、準備を怠ることなく献身的にプレー。2013年にはメジャー通算2000試合出場、4000本安打を達成するなど数字を積み上げていく。
2014年終了後にFAとなり、ヤンキースからマイアミ・マーリンズへと移籍。背番号は『51』へと再び戻っている。ここでもレギュラーではなかったが、若手の模範としてチームメートから愛されていた。マーリンズ移籍後2年目のシーズンとなった2016年には、ピート・ローズの4256安打を更新。日米通算4257安打となりギネスに認定されている。ここから、自分自身の数字と戦う日々が始まった。
翌2017年には、王貞治氏のもつ5862塁打を日米通算記録で抜き、またメジャー通算3000本安打も達成。シーズン終了後にFAとなりマーリンズを退団した。FA市場の停滞もあり、キャンプ開始後も契約が決まらずにいたが、3月に入ると古巣シアトル・マリナーズに電撃復帰。3月24日にマイナーリーグで頭部死球を受け出場が不安視されたが、29日のMLB開幕戦に「9番・レフト」で先発出場。まだまだイチロー伝説は終わらないように思われた。
しかし、調整遅れなどが影響し15試合で打率.205の9安打。その後、5月3日にマリナーズと会長を補佐する「スペシャルアシスタントアドバイザー」として生涯契約を結び、2018年の出場はなくなった。
2019年3月20日、21日の東京ドームで行われたアスレチックスとの開幕2連戦で「9番・ライト」で出場した。45歳149日での開幕戦出場は野手としてはメジャー史上2番目の記録。21日の試合で8回の守備位置に着いたタイミングで交代が告げられると、選手たちと挨拶を交わしグラウンドを去った。その後、試合中にイチローの引退が発表され、試合終了後に緊急会見が行われた。これによって世界記録の日米通算安打は「4367」で止まり、イチメーターは永遠に更新されることはなくなった。
50歳まで現役でプレーしたいと語っていたイチロー。プロとしての野球人生に幕を下ろしたが、これからどんな野球人として活動していくのか。生きた伝説の物語は第二章に突入したばかりだ。
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