東北高校時代
①第76回選抜高校野球大会でノーヒットノーラン
イラン人である父と日本人の母の間に産まれたダルビッシュ。小学生から野球をはじめ、中学時代は羽曳野ボーイズでプレーし世界大会3位の実績を残した。この結果から多くの高校から勧誘が来るなかで、東北高校を選択する。
入学後、期待通りの活躍を見せたダルビッシュは1年秋からエースに君臨。2年春のセンバツから4季連続で甲子園に出場するなど、高校時代にも大きな実績を残している。2度目の甲子園となった2年夏の甲子園では常総学院高(茨城県)に敗れ準優勝。このときに泣いたことは、野球関連で唯一の涙だったと、のちに自身のSNSで語っている。最高学年となった新チームでは主将になるも、まとまらず崩壊寸前。しかし、甲子園では春のセンバツ1回戦の熊本工業高(熊本県)戦でノーヒットノーランを達成しベスト8と結果を残す。最後の夏は2試合連続完封を記録するなど好投を続けるもベスト16で敗退となった。
②ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズへ
甲子園での活躍もあり超高校級投手と称されていたダルビッシュ。2004年ドラフト会議では、複数の球団から1位指名も予想されたが、北海道日本ハムファイターズが単独で1位指名となり結果として一本釣りとなった。ちなみに、この時に高校時代のライバル涌井秀章(当時横浜高校)は同じく1位指名で埼玉西武ライオンズ入りした。
日本ハム時代
③MVPなど4部門受賞
高卒1年目ながら6月に一軍昇格を果たしたダルビッシュは、初先発初勝利をマークしローテーションへ定着する。2年目(2006年)には12勝5敗、防御率2.89の成績を残しエース級の働きをみせた。3年目(2007年)に初のタイトルとなる最多奪三振を獲得する。その他の投手タイトル獲得はならなかったものの、沢村賞の基準7項目を全てクリア。沢村賞ならびにMVP同時受賞となった。
④北京オリンピックに出場するも結果を出せず五輪期間中に丸刈りに
⑤WBC決勝で胴上げ投手に
ダルビッシュは球団だけでなく日本代表として国際試合にも出場している。2008年北京オリンピックでは結果を出せず、オリンピック開催期間中に自身の髪を丸刈りにしてしまった。 しかし、2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、決勝で9回に同点へと追いつかれたものの、イチローの勝ち越し打で2点リードを奪った10回裏を無失点に抑え胴上げ投手となった。
⑥2度目のMVPなど4部門受賞
⑦最優秀防御率・最多奪三振を受賞
WBC後のシーズンでは2度目のMVPを受賞するなど、球界を代表する大エースへと成長。2010年の交流戦では前田健太(現ドジャース)の成長のために自分の球種全てを投じる『粋』な面もみせている。それ以降も最優秀防御率、最多奪三振などを獲得。ハイレベルな成績で安定し、2011年まで5年連続で防御率1点台をマークした。同時に年俸もうなぎ登りとなり、2009年11月に史上最速(高卒5年目)、最年少で3億円を突破する年俸3億3000万円(推定)で更改。2011年には再び史上最速、最年少で年俸5億円(推定)となった。
MLB時代
⑧5170万ドルでテキサス・レンジャーズへ
⑨最多奪三振を受賞
かつてはメジャーリーグ移籍を否定していたダルビッシュだったが、2011年オフに日本ハムがポスティング制度を申請。史上最高額となる5170万3411ドルで落札され、レンジャーズへ移籍することとなる。契約は6年総額6000万ドルとなった。その後、札幌ドームで行われたお別れ会見では平日にもかかわらず、1万人以上のファンが訪れ快く送り出された。
レンジャーズ移籍1年目(2012年)からローテーション投手として16勝をマーク。2年目(2013年)にはシーズン初登板となった開幕2戦目のアストロズ戦で完全試合まであと1人に迫る投球で初勝利を飾ると、シーズンを通じて13勝(9敗)をマーク。また、277奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得し、サイヤング賞投票でも2位に入るなどメジャーリーグを代表する投手への階段を登りはじめた。その後メジャー3年目(2014年)にもノーヒッターまであと1人と迫ったが安打を許し大記録を逃している。(のちに記録訂正があり被安打2となった)この年は夏場に故障を発症し、シーズン終盤の登板はなかったものの3年連続となる2桁勝利(10勝)を達成した。
⑩トミー・ジョン手術を受ける
⑪ロサンゼルス・ドジャースへ移籍
転機が訪れたのはメジャー4年目となる2015年だった。開幕前に右ヒジの靱帯損傷が発覚しトミー・ジョン手術を決断したのだ。手術後はリハビリに努めシーズン全休となりプロ入り後、初の登板なしに終わっている。
翌2016年の5月終盤に復帰すると、年間を通じて17試合に登板し7勝(5敗)をマーク。この年にはメジャー初本塁打も記録している。契約最終年となった2017年は移籍期限の7月31日に、レンジャーズからロサンゼルス・ドジャースへと電撃トレード。レンジャーズでは6勝9敗、防御率4.01だったものの移籍後のドジャースでは4勝3敗、防御率3.44の成績を残しポストシーズンでも期待されていた。
ディビジョンシリーズ、リーグチャンピオンシップでは好投をみせ、それぞれ白星をマーク。ワールドシリーズでも同様の活躍が期待された。しかし、2度の先発登板ともに打ち込まれ敗戦投手となってしまう。悲願のチャンピオンリングを獲得できぬまま、オフに入りFAとなった。
ダルビッシュの移籍は、2018年1月25日時点でまだ複数の球団との交渉が続いている。軌跡の先にある新天地はどこになるのか、今シーズンのダルビッシュの活躍に期待が高まる。
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