「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

1970年代におけるMLBドラフト全体1位は誰だった?

2017 7/10 10:25cut
野球ボール、グローブ、ヘルメット
このエントリーをはてなブックマークに追加

Photo by Thorsten Schmitt/Shutterstock.com

日本のドラフトでは、1位指名選手を全球団が入札し、指名が重複した際に抽選を行う。MLBのドラフトで抽選は行われず、完全ウエーバー制で繰り広げられる。その、最も早い指名が「全体1位」と呼ばれるのだ。今回は1970年代の全体1位を紹介する。

1970年代のドラフト全体1位指名選手は誰がいた?

1965年に開始したMLBのドラフトも定着した1970年代。このディケイドに指名された選手は、日本人にもなじみのある選手が多くなっている。それはMLBでプレー後に、日本球界へやって来たからだ。
特に1978年全体1位のボブ・ホーナー選手は、強烈なインパクトを残していったので記憶に残っている方も多いだろう。
【1970年代全体1位選手一覧】
1970年:マイク・アイビー選手(サンディエゴ・パドレス)
1971年:ダニー・グッドウィン選手(シカゴ・ホワイトソックス)
1972年:デーブ・ロバーツ選手(サンディエゴ・パドレス)
1973年:デビッド・クライド選手(テキサス・レンジャーズ)
1974年:ビル・アーモン選手(サンディエゴ・パドレス)
1975年:ダニー・グッドウィン選手(カリフォルニア・エンゼルス)
1976年:フロイド・バニスター選手(ヒューストン・アストロズ)
1977年:ハロイド・ベインズ選手(シカゴ・ホワイトソックス)
1978年:ボブ・ホーナー選手(アトランタ・ブレーブス)
1979年:アル・チャンバーズ選手(シアトル・マリナーズ)

1975年:ダニー・グッドウィン選手

1975年の全体1位はカリフォルニア・エンゼルスから指名されたダニー・グッドウィン選手だった。グッドウィン選手は1971年にシカゴ・ホワイトソックスからも全体1位指名受けていたが入団せず、2回目の指名だった。
指名年度である1975年にメジャーデビューを果たしたグッドウィン選手だが、大きな実績を残すことはできなかった。1982年を最後にMLBでは出場を果たせずにいたが、1986年に日本の南海ホークスへ移籍。しかし、日本でも実績を残せず、1年で解雇となっている。

1976年:フロイド・バニスター選手

1976年にヒューストン・アストロズから全体1位指名を受けたのはフロイド・バニスター選手だ。バニスター選手は先発投手として活躍。1982年に209奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得し、12勝をマークする。この年から7年連続2ケタ勝利を挙げるなど、ローテーション投手としてプレー。一定の成績を残していた。
その大物選手が1990年にヤクルトスワローズと契約して来日した。故障もあり、ヤクルトでは3勝のみに終わったが、ヤクルト投手陣に与えた影響は大きいものがあった。

1977年:ハロルド・ベインズ選手

1977年のドラフトでシカゴ・ホワイトソックスから全体1位指名を受けたのは、ハロルド・ベインズ選手だ。ベインズ選手は1980年にメジャーデビューを果たし、1989年途中に移籍するまで、ホワイトソックスの中心選手として活躍。在籍中は毎年2ケタ本塁打を放ち、オールスターゲームにも4度選出されている。
その後、2001年まで現役生活を続けたベインズ選手は通算2866安打を放つ活躍。ホワイトソックス時代に着用していた背番号「3」は永久欠番に制定されている。

1978年:ボブ・ホーナー選手

1978年の全体1位は、アトランタ・ブレーブスに指名されたボブ・ホーナー選手だった。ホーナー選手はマイナーの試合に出場せず、即メジャーでの出場を果たし、初年度から78試合に出場。打率.266、23本塁打、63打点の成績を残して新人王に輝く。その後もブレーブスでレギュラーとして活躍。1982年にはオールスターゲームにも出場している。
ホーナー選手は、1987年に日本のヤクルトスワローズへとやって来た。デビューから本塁打を量産して「ホーナー旋風」を巻き起こし、シーズン終了と同時に帰国。まさに台風のような存在だった。

まとめ

1970年代のMLBドラフトで全体1位指名された選手が、日本に来ていたことがよくわかる。 近年でも広島東洋カープに在籍したブライアン・バリントン選手などが、全米1位から来日している。 その先駆けとなっていたのは1970年代だったのだ。