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ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムの永久欠番はいくつある?

2017 6/13 12:41cut
エンゼルス,選手
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Photo by Bill Florence / Shutterstock.com

ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムは、通称ロサンゼルス・エンゼルスと呼ばれ、赤がチームカラーとなっている。 かつて日本人選手では長谷川滋利選手、松井秀喜選手、高橋尚成選手らが在籍していた。 そんなエンゼルスの永久欠番を紹介する。

ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムってどんなチーム?

ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムは、アメリカンリーグ西地区に所属している1961年創設のチームだ。イチロー選手が長きにわたり在籍したシアトル・マリナーズと同地区ということもあり、日本で目にする機会も多くなっている。
2002年に初めてワールドチャンピオンに輝き、その後も2004年から6年連続で地区優勝を果たした。近年では2014年にも地区優勝を果たしているが、リーグ優勝はできず、ワールドシリーズ進出はならなかった。 メジャーリーグの顔となっているマイク・トラウト選手の在籍中に2度目のワールドチャンピオンを目指す。

ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムの永久欠番は6名

2017年開幕前の時点でロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムの永久欠番は「11」「26」「29」「30」「42」「50」の6つだ。「42」は、MLB全球団で永久欠番となっているジャッキー・ロビンソン選手の背番号であるため、エンゼルス独自での永久欠番は5つとなる。
そのうち「26」は選手や監督、コーチではなく初代オーナーであるジーン・オートリー氏の番号だ。ジーン・オートリー氏はカウボーイ俳優として活躍していた名優でもあり、エンゼルスの発展に尽力したが、存命中にワールドチャンピオンになることはできなかった。

「29」ロッド・カルー選手

エンゼルスの背番号「29」はロッド・カルー選手の永久欠番として制定されている。カルー選手はパナマ出身の名選手だった。ミネソタ・ツインズで1967年にメジャーデビューし、1979年にエンゼルスへと移籍してきた。
ツインズ時代には7度の首位打者を獲得するなど「安打製造機」として親しまれていたカルー選手。エンゼルスに移籍後はタイトルの獲得こそなかったが、6年連続でオールスターゲームに出場する活躍を見せている。また、現役引退年となる1985年にはエンゼルスで3000本安打を達成した。

「30」ノーラン・ライアン選手

エンゼルスの背番号「30」はノーラン・ライアン選手の背番号として永久欠番に制定されている。現役引退前の1992年に制定されたのは異例のことだった。
ライアン選手は「ライアン・エクスプレス」と称され、通算324勝、5714奪三振をマークした大投手だ。エンゼルスには1972年から1979年までの8年間在籍して138勝を挙げている。これはライアン選手が在籍した4チームの中で最も多い勝ち星だ。また、1973年にマークしたシーズン383奪三振は、現在もメジャーリーグ記録となっている。

今後、エンゼルスで永久欠番になりそうなのは?

今後、エンゼルスで永久欠番となりそうなのは、アルバート・プホルス選手の「5」だろうか。
プホルス選手は2001年にセントルイス・カージナルスでメジャーデビューを果たし、10年連続3割30本塁打100打点をマーク。2012年にエンゼルスへ移籍した。その後も、2016年までの5シーズンで146本塁打を放つなどチームの顔として活躍している。
エンゼルスで通算3000本安打を達成することは間違いないとみられ、野球殿堂入りも確実だ。そんな大打者のプホルス選手は、引退と同時に永久欠番となることが濃厚だ。

まとめ

プホルス選手、トラウト選手という新旧のMLBを代表する選手が揃っているエンゼルス。 両選手が在籍している期間中に2002年以来のワールドチャンピオンになりたいところだ。 プホルス選手が力の衰えていない2017年シーズンに期待がかかる。