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【球史に名を残した偉人達】メジャーでも一流だった大魔神・佐々木主浩

2017 5/17 09:55cut
野球ボール、グローブ
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日本球界で残した実績

佐々木主浩選手は東北福祉大学からドラフト1位で大洋ホエールズに入団。中継ぎとして活躍後に守護神へと定着します。1992年、1995年から1998年までの4年間と合計5度に渡り最優秀救援投手のタイトルを獲得。抑えとして一時代を築きます。
また、「大魔神」という愛称も定着し各球団の抑え投手やセットアッパーが「◯◯魔神」と呼ばれることもありました。佐々木選手のチームメートでは五十嵐秀樹選手が「ヒゲ魔神」と親しまれセットアッパーとして活躍しています。
1998年シーズンにセ・リーグMVPを獲得しチームを優勝に導き日本一にも輝いた佐々木選手。翌1999年は故障もあり23試合の登板に終わります。しかし、故障があったもののシーズン終了後にFA宣言をし海外移籍を目指します。佐々木選手はシアトル・マリナーズと3年契約を結びメジャー移籍を果たすのです。当時、イチロー選手が海を渡る前ということもありマリナーズの知名度も高くありませんでした。
また、吉井理人選手、長谷川滋利選手、伊良部秀輝選手、木田優夫選手、柏田貴史選手らが野茂英雄選手の後に渡米していました。しかし、日本球界における実績では佐々木選手の方が上ということもあり大きな話題になりました。

クローザーとして認められたメジャー1年目

1999年オフに横浜からマリナーズへFA移籍を果たした佐々木選手。2000年2月からスプリングトレーニングに参加しクローザーの座を争います。移籍前年となる1999年シーズンのクローザーはホセ・メサ選手でした。1999年のメサ選手は68試合に登板し3勝6敗33S、防御率4.98と安定感に欠いており絶対的な存在ではありません。
そのため、佐々木選手が競い合える環境だったといえるのです。これがマリアノ・リベラ選手などのいるニューヨーク・ヤンキースであれば守護神の競争はなく中継ぎとしての起用となっていたでしょう。佐々木選手はFA移籍の際に代理人とチーム状況を確認してマリナーズを選んだと言えそうです。
その佐々木選手は開幕前にクローザーを勝ち取りシーズンをスタートさせました。初登板は大量リードの場面でセーブシチュエーションではありませんでしたが、1回を無失点に抑える上々のデビューとなっています。初めてセーブを挙げたのは2試合目の登板です。3点リードの9回にマウンドに上がり3者連続三振で初セーブをマークしました。
5月に入ると2試合連続でのセーブ失敗もありますが、シーズンを通してクローザーに定着。63試合に登板し2勝5敗37S、防御率3.16の成績を残します。62.2回を投げ奪った三振は78個とイニング数以上の三振を奪いメジャーでもフォークボールが通用することを証明。アメリカンリーグの新人王にも輝きました。

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