【球史に名を残した偉人達】メジャーでも一流だった大魔神・佐々木主浩|【SPAIA】スパイア

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【球史に名を残した偉人達】メジャーでも一流だった大魔神・佐々木主浩


日本球界で残した実績

佐々木主浩選手は東北福祉大学からドラフト1位で大洋ホエールズに入団。中継ぎとして活躍後に守護神へと定着します。1992年、1995年から1998年までの4年間と合計5度に渡り最優秀救援投手のタイトルを獲得。抑えとして一時代を築きます。
また、「大魔神」という愛称も定着し各球団の抑え投手やセットアッパーが「◯◯魔神」と呼ばれることもありました。佐々木選手のチームメートでは五十嵐秀樹選手が「ヒゲ魔神」と親しまれセットアッパーとして活躍しています。
1998年シーズンにセ・リーグMVPを獲得しチームを優勝に導き日本一にも輝いた佐々木選手。翌1999年は故障もあり23試合の登板に終わります。しかし、故障があったもののシーズン終了後にFA宣言をし海外移籍を目指します。佐々木選手はシアトル・マリナーズと3年契約を結びメジャー移籍を果たすのです。当時、イチロー選手が海を渡る前ということもありマリナーズの知名度も高くありませんでした。
また、吉井理人選手、長谷川滋利選手、伊良部秀輝選手、木田優夫選手、柏田貴史選手らが野茂英雄選手の後に渡米していました。しかし、日本球界における実績では佐々木選手の方が上ということもあり大きな話題になりました。

クローザーとして認められたメジャー1年目

1999年オフに横浜からマリナーズへFA移籍を果たした佐々木選手。2000年2月からスプリングトレーニングに参加しクローザーの座を争います。移籍前年となる1999年シーズンのクローザーはホセ・メサ選手でした。1999年のメサ選手は68試合に登板し3勝6敗33S、防御率4.98と安定感に欠いており絶対的な存在ではありません。
そのため、佐々木選手が競い合える環境だったといえるのです。これがマリアノ・リベラ選手などのいるニューヨーク・ヤンキースであれば守護神の競争はなく中継ぎとしての起用となっていたでしょう。佐々木選手はFA移籍の際に代理人とチーム状況を確認してマリナーズを選んだと言えそうです。
その佐々木選手は開幕前にクローザーを勝ち取りシーズンをスタートさせました。初登板は大量リードの場面でセーブシチュエーションではありませんでしたが、1回を無失点に抑える上々のデビューとなっています。初めてセーブを挙げたのは2試合目の登板です。3点リードの9回にマウンドに上がり3者連続三振で初セーブをマークしました。
5月に入ると2試合連続でのセーブ失敗もありますが、シーズンを通してクローザーに定着。63試合に登板し2勝5敗37S、防御率3.16の成績を残します。62.2回を投げ奪った三振は78個とイニング数以上の三振を奪いメジャーでもフォークボールが通用することを証明。アメリカンリーグの新人王にも輝きました。

ワールドシリーズには届かなかったメジャー2年目

1年目に結果を残した佐々木選手。2年目のシーズンとなる2001年に心強い援軍がチームに加入します。オリックス・ブルーウェーブからイチロー選手が加入したのです。日本球界で最高の成績を残したクローザーである佐々木選手と最高の安打製造機がタッグを組みました。
イチロー選手の加入による相乗効果があったのか佐々木選手は好スタートを切ります。4月に13セーブを挙げ4月におけるメジャー最多記録を樹立。前半戦で29セーブをマークしオールスターゲームにも出場しました。この年のオールスターはマリナーズの本拠地であるセーフコフィールドで開催され佐々木選手も登板し、見事にセーブを挙げています。
オールスターが終わり後半戦もクローザーとして活躍した佐々木選手。メジャーリーグ歴代最多タイとなる116勝目を掛けた試合でも1-0の9回に登板し見事セーブを挙げました。
佐々木選手、イチロー選手の活躍もありレギュラーシーズンで圧倒的な成績を残したマリナーズ。球団創設以来初めてのワールドチャンピオンの期待が高まります。しかし、ポストシーズンで勝ち進むことができません。佐々木選手はディビジョンシリーズで3試合に登板し防御率0.00だったもののアメリカンリーグチャンピオンシップのヤンキース戦で敗戦投手となってしまいます。これが佐々木選手にとって最後のポストシーズンとなってしまいました。

自宅で転倒し故障者リストへ

メジャー1年目、2年目と結果を残した佐々木選手は3年目もオールスターに出場するなど例年通りの活躍を見せました。このシーズン中にメジャー通算100セーブもマーク。160試合目での100セーブはメジャー最速記録となりました。防御率もキャリアハイとなる2.52をマーク。3年連続で結果を残したことからアメリカでの評価もされるようになりました。
しかし、4年目のシーズンとなる2003年は初登板でセーブ失敗。以降も4月半ばから4試合連続失点を喫するなど不調が続きます。その後、4月末の故障者リスト入りを経て5月に復帰し、復帰後5月は無失点と本来の投球を取り戻しました。しかし、佐々木選手を悲劇が襲います。自宅でスーツケースを運んでる際に転倒し故障したのです。このケガにより佐々木選手は再び故障者リスト入りに。それ以上に首脳陣、ファンから冷たい目を浴びせられたことが辛かったでしょう。佐々木選手自身も「恥ずかしい」とコメントするなど故障の原因を悔いています。
8月に佐々木選手は復帰しますがクローザーではなくセットアッパーでした。復帰後に一度もセーブシチュエーションでの登板はありません。シーズン最終登板となった試合も9-3と大差でリードしている場面の起用と信頼は回復しませんでした。結果的にこの登板がメジャーでの最終登板となってしまいます。
佐々木選手は契約が残っていたにも関わらずマリナーズを退団。日本球界復帰の道を選ぶのです。

日米通算で名球会入りへ

佐々木選手はメジャーリーグで通算129セーブを挙げ日本時代の229セーブと合わせ358セーブを挙げていました。しかし、名球会の規定ではNPBのみの記録で200勝以上、2000本安打以上だったため佐々木選手は偉大な記録を残していたにも関わらず名球会への参加資格はありませんでした。
しかし、2003年シーズン終了後に日米通算、そして250セーブ以上が新たに規約に加えられ佐々木選手も加入要件を満たすことになりました。
この日米通算、250セーブ以上という規約改定はイチロー選手、野茂選手そして佐々木選手といった海を渡る選手が増えたことによる改定でもありました。最終的に日本復帰後も佐々木選手はセーブを上積みしたため通算で381セーブで現役を終えています。
日本球界では岩瀬仁紀選手が400セーブを超える大記録を打ち立てています。しかし、メジャーの舞台で佐々木選手のように100セーブ以上を達成する大クローザーは現れるのでしょうか。注目が集まります。

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