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『ジャーニーマン』青木宣親選手に期待!

2017 8/17 16:20cut
mlb、ballpark
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最初の球団はブルワーズ

青木宣親選手は2011年オフにポスティング制度を利用しミルウォーキー・ブルワーズへと移籍する。ブルワーズは青木選手に対し最高額を入札し独占交渉権を得たにも関わらず入団テストを実施。青木選手はテストを受けた上での契約となった。これはポスティングを利用して日本からメジャーリーグへ移籍した選手で初の事例だった。
スプリングトレーニングで好成績を残した青木選手は、開幕スタメンこそ奪えなかったものの代打で出場する。初打席は三振だったがメジャーデビューを果たしたのだ。4月は代打での出場が多かった青木選手だが月間打率.304をマーク。与えられた役割をこなしていった。
5月中旬以降からはスタメンに定着しリードオフマンとしてチームに貢献。シーズン終盤までほぼスタメン起用が続いた。
余談ではあるが、このシーズンは後にDeNAへやってくることになるナイジャー・モーガン選手とポジションを争っていたのだ。後に青木選手は「モーガンはトラブルメーカーのイメージがあるけどそんなことはない」と語っている。
1年目の青木選手は151試合に出場し打率.288、10本塁打、50打点、30盗塁の成績を残し新人王投票でも5位に入る。テスト入団でありながらも、1年目の青木選手が1年目で結果を残したのだ。
2年目となる2013年は開幕からスタメンで起用されると本塁打を放ち起用に応える。1年間フルで働いた青木選手は155試合に出場。打率.286、8本塁打、37打点、20盗塁と安定した成績を残した。
シーズン終了後に青木選手はカンザスシティ・ロイヤルズへとトレードで移籍する。ここから青木選手のジャーニーマン人生が始まったのだ。2016年現在で2年以上在籍した球団はブルワーズだけとなっている。

2球団目は低迷が続くロイヤルズ

青木選手の2球団目はロイヤルズだった。2014年当時のロイヤルズは、ワールドチャンピオンになった1985年以降、ポストシーズンへの進出がない弱小チームだった。2013年シーズンで10年ぶりの勝率5割を達成したが、前評判もよくなく苦戦が予想されていた。
青木選手は、そんなロイヤルズで1番ライトの定位置を掴む。チームも好調で6月には10年ぶりとなる10連勝を達成。その間、青木選手は7試合に出場し6試合でヒットを放つ活躍をみせた。しかし、連勝が止まった直後に肉離れを起こし故障者リスト入りとなる。メジャー移籍後初の故障者リスト入りだった。
3週間ほどで青木選手は復帰するとほぼ、シーズン終了までスタメン出場を果たしワイルドカード獲得に貢献した。
ロイヤルズは1985年以来のポストシーズンに進む。青木選手にとっても初のポストシーズンだった。チームはワールドシリーズまで進むが最後はサンフランシスコ・ジャイアンツに3勝4敗で敗れ惜しくもチャンピオンリング獲得はならない。
青木選手はスタメンで出場してはいるものの、打撃も低調でワールドシリーズでは14打数1安打、打率.071と大ブレーキとなってしまったのだ。また、守備を不安視され守備固めを出されるなど残念なシリーズとなってしまった。アメリカのメディアでも青木選手の守備は酷評されており「ボールに”もてあそばれ”ている」、「子犬を追いかけているようだ」といった厳しい表現もされている。
シーズン終了後に青木選手はワールドシリーズで戦ったジャイアンツへ移籍するのだ。

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