地元高校を負かしたチームを応援に甲子園へ
金島弘樹(以下、金島):かみじょうさんはテレビでも高校野球芸人として有名ですが、ご自身でも野球をされていたんですか?
かみじょうたけし(以下、かみじょう):じつは少年野球しかやってないんですよ。3年間だけです。いざなぎクラブ(淡路島市の少年野球クラブ)でもう引退しました。笑
金島:そうだったんですね。いつから高校野球好きになられたんですか?
かみじょう:きっかけでいうと、1989年から。もう30年近く前になります。ちょうど小学校6年生の夏やったんですけど、地元の公立高校(津名高校)が兵庫県でベスト4にいってたんです。
あと2回勝ったらあのテレビでやってる、桑田、清原とかが出てたやつなんやなと。それで親父に「あっこに、あんな田舎の高校が行くんかい。ちょっと見に行かしてえや」と言って、明石球場(今の明石トーカロ球場)に連れてってもらいました。まだ明石大橋もなく、高速船に乗って、魚の棚のとこ通って、明石城の裏から入って、というのをすごい覚えていますね。
金島:明石球場は軟式の全国大会やるところですね。
かみじょう:そうです。軟式の聖地ですね。そこへ連れて行ってもらったんですが、3-1か2-1で結構善戦したんですよ。相手が神戸弘陵やったんですけど、その弘陵が次の決勝戦で11-1かなんかで神港学園をボコボコにして、甲子園行ったんですよ。
あれ(津名-神戸弘陵戦)、めっちゃ惜しかったんちゃうって。子供ながらに、神港より強かったやろ、3-1やったらって思って。で、その応援していたところに勝ったチームを応援したくて、親父に「津名に勝った神戸弘陵見に甲子園行こうや!」と言って、連れてってもらいました。
金島:初めて見た甲子園、球場入った瞬間とか覚えてますか?
かみじょう:そうですね。なんかもう、こんなデカいんか野球場って!と思いましたね。うわ緑がきれい〜、こんなとこホームラン入んのか?バースってこんなとこでホームラン入れとったんか!掛布、岡田もか!そんな感覚でしたね。
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深夜に甲子園の周りを徘徊する怪しい人物?
金島:そこからちょっとずつ高校野球にハマっていったんですね。
かみじょう:それがきっかけで高校野球好きになりましたね。でも自分は中学・高校と違う部活やってたんです。その時はTVで見ながら、くらいですね。高校卒業して大学行ったときに、これでやっと好きなだけ甲子園見に行けるわ、と思って。笑
そこから毎日見に行ってましたよ。
金島:大学は龍谷大でしたっけ?
かみじょう:そうです。龍谷大学(京都)に入学したんですけど、鳴尾(兵庫)に下宿して、西宮から大学通ってましたね。笑
金島:それはすごい!笑
かみじょう:ずっと入り浸ってて、花園町の沿線のあの辺、鳴尾高校のグランドの表ぐらいのところに住んでました。甲子園近かったんでね。夜にも行って、当時まだツタがあったので、葉っぱ触りながら一周したり、アホでしたわ。野球やってもないのに「甲子園や!」みたいな。笑
金島:そういうきっかけで高校野球見るようになって、見方が今と全然違ったと思うんですけど、一番最初はプロ野球から見ていたんですか?
かみじょう:プロ野球というよりほぼ最初から高校野球ですね。バースはちらっとテレビで見てましたけど。近所の兄ちゃんが明石球場でブルペンで投げる姿見ましてね。いつも遊んでもらってた兄ちゃん。公園で野球ごっこしてくれて、たくさん遊んでくれた。兄ちゃんが下から投げてくれてたのに「うわー、球おっそいのお、お前」とか言ったりして。向こうはわざとやってくれとったんでしょうけど、そんなのまだ僕は小学生でわからへんから兄ちゃんの実力はわからなかったですね。
その後、明石球場のブルペンでいつも遊んでくれてる兄ちゃんが真剣な顔で、バチーンという凄い球投げとったのを見たんですよ。いつもの球と全然ちゃうやん!と。もう恐かったっすよ。かっこええとかじゃなく、恐い。でも、試合始まって投げるわけじゃないですか。神戸弘陵すごい強そうやし、たぶん勝たれへんのかなと思ってたら、その兄ちゃんが抑えるわけですよ。バチバチと。そしたら恐さがかっこええにどんどん変わってきて、完全に憧れになりましたね。
金島:自分ではやろうとは思わなかったんですか?
かみじょう:練習も結構しんどかったし、下手くそやったんでそれはなかったですね。
金島:僕もリトルリーグから野球やってたんですが、かみじょうさんの時代は、練習中に水とか飲めましたか?
かみじょう:いや、飲めなかったです。
金島:昭和何年生まれでしたっけ?
かみじょう:52年です。
金島:僕が54年なんですが、練習中に水飲めませんでしたね。あの時代はまだうさぎ跳びとかひたすらやってました。
かみじょう:意味わからん練習やらされてましたね。笑
金島:そうですね。笑
かみじょう:田んぼの中ダッシュせえとか。ボコボコで足挫くんですよ。危ないじゃないですか。ただの怪我のもとですよ。それをバランス感覚のためとか言って。何回も足捻ってくるぶしのところ腫れてきたりとか。これ何の練習やねん!と、子供ながらに思ってました。
上手やったら続けてましたけどめっちゃへたくそやったんですよ。とりあえず、元気だけはいいから、使ってもらってたんですけど。笑
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本格的にハマったのは松坂の春夏連覇から
金島:高校野球を好きになったきっかけに戻るんですけど、憧れたお兄さんから野球の魅力にハマりだして、高校野球そのものに興味を持ったのはどこやったんですか?
かみじょう:そうですね、あれから月日が経って、自分が高校を卒業して大学になってやっと淡路島を出て自由な身になって、いろんなところに観戦に行くわけなんですけど、お金もなかったんで、とりあえずただで見るにはどうしたらよいんかと思って、甲子園で売り子をやったんです。それがちょうど98年の松坂の春夏連覇の時だったんですよ。
金島:ノーヒットノーランのときですね。
かみじょう:そうです、京都成章。あの大会から今年で20年になるけど、振り返っても一番凄かったんじゃないかなっていうくらいの大会やったと思う。
金島:PLと横浜が17回までやって。
かみじょう:そうですね。そのあと、明徳とやって、京都成章とやりましたけど。松坂さんだけじゃなく、PLには上重さん(日本テレビアナウンサー)がおったり、平石さん(楽天監督代行)、大西宏明さん(元近鉄)がおったり。明徳には寺本さん(元ロッテ)おったりとか。 京都成章には古岡基紀さん、鹿児島実業には杉内俊哉さん(巨人)、浜田高校・和田毅さん(ソフトバンク)、帝京・森本稀哲さん(元日本ハム)とかタレントが凄かった。そういうのでハマったというのもあるんかな。とにかくスターが多かった。
金島:あの時代はね、僕は1個上の世代なんですけど、逆に僕らの世代はあんまりタレント揃ってなくて、今プロ野球でも活躍している選手は、能見さん(現阪神)くらいかな。
かみじょう:あとは石川雅規(ヤクルト)投手ですかね。
金島:そうですね。
かみじょう:平安と智辯和歌山ですよね、決勝は。平安の川口知哉投手(元オリックス)、智辯の高塚投手(元近鉄)と中谷捕手(元阪神)。あの決勝戦の前日だけ、野宿したんですよ。今は、8号門クラブいうてあるじゃないですか、野宿する人たち。あんなん無い時代に、一夜だけ野宿したのが今となっては思い出です。
その後、平安の奥井さんが梅田の串カツ屋で偶然横におったんすよ!
「すみません、かみじょうさん。私、奥井と申します」
「まさかあの時の1番バッターの方じゃないですか!?」
「えっ!?僕のこと知ってるんですか?」
「当たり前じゃないですか!」言うてね。笑
〜 第2弾「人間力の向上が高校野球の素晴らしさ」に続く